それでですね、私中国色々まわってますがコンニャク(らしきもの!)が道端で売られてるのを見たのはここだけです。元々漢民族にはなく、南方の少数民族にだけある食文化が日本に伝播したのかな??? pic.twitter.com/qwviakBgMe
— 昔南京にいた女 (@EREzjLWrcWd0buN) June 2, 2019
▲昨晩はこちらのツイートをRTはしたところ、フォロワーの皆さんから大きな関心が寄せられた。なぜか私のフォロワーは食べ物の話が好きなようで、こういうネタをRTするといつも反応が良い。
そこで、中国でコンニャクは食べるものなのか、食べないものなのか…という話題になったため、私の知見をこちらにまとめて書いておこうと思う。
【目次】
司馬遼太郎の「コンニャク問答」
リプライで寄せられた情報で、司馬遼太郎の『 中国・蜀と雲南のみち』の中でコンニャクについて触れた箇所がある…というのでさっそくあたってみた。
- 作者: 司馬遼太郎
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▲32頁から始まる「コンニャク問答」という文章である。
この中で司馬遼太郎が中華料理店へ行く度、料理人に「コンニャクの料理は、中国にありますか?」と聞くが、「ない」「中国人はコンニャクを食べません」「コンニャクの料理など聞いたこともない」と返答する…と書かれている。
それから、西晋時代の左思という詩人が書いた『三都賦』という書物の中にコンニャクが出てくる…三国時代の四川で食べられていた…とあり、苦酒(酢)につけて食べた…などと書かれている。
それから、司馬遼太郎は中国人とコンニャクの話をしてみたところ、現代中国では「磨芋豆腐」「雪磨芋」と呼び、四川だけで食べられる…との説明がされる。
最終的に、司馬遼太郎は
元来、コンニャクは漢民族の食物でなく、山間の少数民族の食物の一つだったのではないか
と結論している。
百度百科におけるコンニャクの解説
お得意の百度百科で調べてみたが、司馬遼太郎の説明と同じく左思の『三都賦』が引用されている。その他、要点を書き出すと
- 中国の南の方(四川、湖北、雲南、貴州、陕西、広東、広西)に分布する植物。
- 中国では2000年ほど前から栽培を開始。
- 『本草綱目』にも記載されており、「天賦良薬」として病気の治療を目的として食べられていた。
- 中国の民間で栽培・加工・食用されてきたのはこの200年ぐらい。ただし、以前は西南地区でわずかに食べられてきただけである。この20年ほどの経済発展で中国人のライフスタイルが変化し、健康志向となったため、コンニャクが普及し、いまは15の省と自治区で食用コンニャクの栽培・加工されている。
ようするに、司馬遼太郎が『街道をゆく』で、四川を訪れた時はまだ「西南地区でわずかに食べられてきた」の時代だったのであろう。
追記:2千年前から栽培しているのに、民間では200年の謎
このブログ記事を書き終えてから、ずっと気にかかっていたのですが、栽培そのものの歴史は2000年前にさかのぼるのに、なぜ民間では200年ぐらいしか食べられていないのか…変だと思いませんか?
じゃあ、そもそも本草綱目はコンニャクをどのように定義しているのか…と思ったのですが、その前に
http://www.konjac.org/Japan/About.Asp?Id=3
▲こちらの記事が見つかりました。これによるとつまり…
2千年前に、《神農本草経》は始めて蒟蒻(こんにゃく)を薬物とし、その後、梁、宋、明、清代の各古書の医学著作にもこんにゃくの薬物効用と保健作用を記載されています。《本草綱目》と歴代の本草にこんにゃくが辛く寒にし、“蒟蒻の塊茎は解毒、消腫、痰のからまる解消、できもの解消などに効果あり”の内容を書きました。よく咳止め、ヘルニア、乳痛、火傷などに使います。煎じて飲むと、胃を丈夫にし、消化に作用があります。
つまり、コンニャクは中国で長い間、「薬用」の植物として栽培されており、一般的な食事に取り入れて食べられるものではなかった…という風に読めます。
それと、前出の左思の『三都賦』では三国時代から晋の時代までには四川あたりで酢につけて食べていた…という記録があるので、そこを整理すると…
- 薬用としては2000年以上の栽培の歴史
- 古くは三国時代に食用の記録が残っている。その間が抜けて、200年ぐらい前に西南地区で食べられていた記録があるけどあまり一般的・大々的なものではなかったみたい(と思われる)
…ということじゃないかと思います。
ここで言う「西南地区」が中国のどこに相当するのかは不明ですけど、四川省だと山の方に行くと何かと芋を加工した食べ物とかが多いのです。これは山間地で穀物が作りにくいので、そういう方向に食文化が発達してしまうみたいですが。
それと、一番最初のツイートにさかのぼると、貴州省の昔ながらの姿を残している集落にコンニャクがあった…ということで、これはその「西南地区」にあたります。
正確にはもっと検証する必要がありますけど、たぶんコンニャクの民間での食用については、『三都賦』以後から200年前までの間を埋める記録がない…三国時代以後に途絶えたものが、突如200年前に復活したのではない…と思われます。
深センの湖南料理屋でコンニャクは普通にありました
私個人の経験で言うと、10数年前に深センにいた頃、当時住んでいた家の近所に小さな湖南料理屋があり、そこにコンニャクを唐辛子と一緒に炒めた料理の定食があったので、しょっちゅう食べていました。
スープにご飯(おかわり自由)で8元だったかな。注文を待っていると、すぐそばの厨房からコンニャクを炒める時の「キュッキュッ」という音が聞こえてくる。炒められたコンニャクが唐辛子の辛味を吸い込んで、それがご飯に合う。今でもたまに自分で作っています。
だから、コンニャクの料理がそれほど特別とも思わないのですが、確かに全国区でよく食べられる食材ではないでしょう。
去年深センに居た時に、その湖南料理屋を探しましたが、既にありませんでした。深センにはたびたび行くので、その際にまたコンニャク料理を探してみようと思います。