私が大好きな中国の作家、廖亦武さんの小説『武漢病毒襲来』をようやく入手。まだ読み始めたばかりだが、プロローグからグイグイと引き込まれております。
「小説」だけど「フィクション」ではない
廖亦武さんは四川省の出身で、天安門事件を批判したことで弾圧され、現在ドイツに亡命中の詩人である。
2012年にNHKのドキュメンタリーでも取り上げられたので、日本でも一躍有名になったが、私は彼の愛読者で、中国語版の著作も買い集めている。無論、今回の「武漢病毒襲来」も必読なわけだが、少し引っかかることがあった。
「なぜ小説なのか」
彼は詩人だが、彼の最も有名な著書は『中国低層訪談録』であろう。
▲こちらは、中国の底辺に生きる様々な人々に話を聞いたインタビュー集なのだが、廖亦武さんがコロナの本を出すなら、これと似た形式を踏襲するものだとばかり思っていた。
こういう疑問は、廖亦武さんの愛読者なら、誰もが抱くであろうから、巻末の「訳者あとがき」でも説明されている。この作品は、小説なのだけど、実在の人物が多数とりあげられ、限りなくノンフィクションに近い、「実録小説」なのである。
中国における「小説」の意味
そもそも、中国において「小説」は、「全くの作り話、物語、フィクション」を意味するのではなく、「小説は、街談巷語の説なり」(芸文志)と言われ、街中や通りで庶民から採集された記録を意味する。
「稗官小説」という言葉もあるが、「稗官」(はいかん)とは昔の下級役人のこと。権力者が世情風俗を知るため、稗官に民間を探らせ、それを書きとめたのが本来の「小説」というわけだ。
そういう意味においては、廖亦武さんの『中国低層訪談録』も「小説」である。ただ、廖亦武さんは現在ドイツに亡命中だし、コロナのこともあるので、中国へ行って庶民から話を採集するわけにもいかない。そこで、ネットやその他のメディアで得られる情報、「街談巷語」をかき集め、「小説」を書き上げた…というわけだろう。
私はまだ読み始めたばかりで、最後まで読んでないのだが、プロローグのところだけでもグイグイ引き込まれた。まるで廖亦武さんが現場に居合わせたかのようにリアリティがある。それは、廖亦武さん自身が中国において当局の弾圧を受け、苦しめられた経験を持ち、中国社会を底辺から理解する者だからこそ、中国のリアルを書き得るのであろう。
だから、本作は「小説」だけど、「フィクション」ではない。中国の深層に迫る限りなくノンフィクションに近い作品なのである。
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