黒色中国BLOG

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【田中芳樹研究】『長江有情』と『中国名将の条件』

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近所の図書館で探してみると、『長江有情』と『中国名将の条件』はすぐに見つかった。この2冊は文量が少ないので、すぐに読める。とりあえず田中芳樹さんの「ツカミ」を得るにはちょうど良かったので、借りてすぐに読んでみました。

【目次】

『長江有情』…重慶から武漢への旅行記のはずが

長江有情

長江有情

 

基本、横長の判型の写真集である。全111頁。大半は写真で、柏木久育さんという写真家が撮られたもの。その中に、田中芳樹さんと井上祐美子さんの文章が収められているが、田中芳樹さんの文章は9頁のみである。

この本が出たのは1994年なので、田中芳樹さんは42歳。9頁の文章は濃厚にして緻密、重慶から武漢に向かうまでの間、様々な歴史の英雄を語り尽くす内容となっている。

中国に関する内容だと、私の頭にはスイスイと入ってくるので、読みやすく、田中芳樹さんがどういう人物なのか、少し輪郭が掴めた。

この本に対するいくつかの疑問、考察を記すと…

  • 田中芳樹さんは最後の方で、この旅行の同行者が狩野あざみさんと、井上祐美子さんであることが明かされる。ところが、狩野あざみさんはこの本の共著者にはなっていない。狩野あざみさんは何のために同行していたのだろうか?
  • 重慶から武漢までと言えば、それなりに長い旅路であるが、9頁の文章は「旅行記」でもなく、ただその土地にゆかりのある英雄のエピソードを並べたものとなっている。田中芳樹さんの観察力をすれば、この旅行だけでも1冊書けるだろうが、旅行中に観た当時の中国が全く記録されていない。読みながら、「これはもしや旅行せずに文章だけ書いたのか?」と思うほどである。
  • 別途、この時の旅行記があるのでは?と思うのだが、それらしきものは見当たらない。
  • この写真集が発行された前年の1993年から三峡ダムの工事が始まっており、当時は日本のメディアの世界で、ちょっとした「三峡ダムブーム」的なものがあった。変わりゆく長江の姿を記録しよう…という具合のものだ。
  • だから、当時の若手中国歴史小説家2人に長江下りの船に乗せて文章を書いてもらい、それに写真をつけて…という企画だったのではないか。

田中芳樹さんの訪中経験というのは、一体どれぐらいあるものなのか。この長江下りが最初の1回目ではあるまい…と思うのだが、それ以外、それ以前の訪中の記録について、私はまだ知らない。

ただ、この9頁の最後の方で、中国人のガイドが、「なぜ日本人は孔明ばかり騒ぎますか、岳飛のことも知ってほしいです」と言い出す箇所があり、そこで田中さんが岳飛を書くべきだと促されるも、岳飛の生涯は面白いけど日本では売れない…でも…と「岳飛論」が展開される。後年、『岳飛伝』(編訳)を出すことになるので、ガイド氏への「申し訳ない気持ち」を晴らし、同行者の期待に応えたわけだが、この時の考察で、「何を書けば売れるのか」を冷徹に判断する「ビジネスマン」としての側面を垣間見せてくれたのは、私にとって「収穫」だった。

対談録『中国名将の条件』…名将の「目利き」の対決

中国名将の条件

中国名将の条件

 

私の祖母は、掛け軸の収集をしていた。茶器や骨董の類もいくつかあった。最初はわからなくても、たくさん見ている内に違いがわかり、値打ちがわかるようになってくる…どんなものでもそういうものだ…というのが祖母の持論であったが、世の中には骨董の目利き、書画の目利き、刀剣の目利きがいるように、「名将の目利き」というのがいるのだな…と思わされるのが本書である。

基本的な内容は、当時まだ40代前半の田中芳樹さんが子供の頃から著書を愛読し尊敬していた陳舜臣さんと出会い、名将について語り尽くす…というもの。両氏の名将論の合間、各人の小説論や個人的なエピソードなどが交わされる。

これを見るに、田中芳樹さんは小学校高学年ぐらいから陳舜臣さんの『枯草の根』を読み、三国志や水滸伝を読み、中学で吉川三国志を読み、高校で柴田錬三郎さんの『英雄ここにあり』を読み、大学に入ってから陳舜臣さんの『長安日記・賀望東事件録』を読んでいた。そして「先生の中国関係のご本を、何か飢えを満たすというような感じで読ませていただいておりました」と告白している。

つまり、田中芳樹さんの原点には、陳舜臣さんがいた…ということ。三国志、水滸伝が小学生時代からの愛読書であったわけだ。

陳舜臣さんが1924年の生まれ、田中芳樹さんが1952年の生まれなので、二人は親子ほど歳が離れているし、この時すでに陳舜臣さんは歴史小説の大家なわけだが、この本を読む限り、両氏共に博学で雌雄決し難く、歳の差が感じられない。多くの文献を通して数々の名将を見てきた「目利き」が、言葉優しいながらも、次々に惜しみなく知見を繰り出して「激突」する内容となっている。

読むに従ってズイズイと引き込まれるが、対談はあっという間に終わってしまう。できれば、月イチの連載で2~3年はやっていただきたかった。

『長江有情』ではわからなかったが、本書では田中芳樹さんの人間観や歴史観、中国観が垣間見られる。ただ、断片的であるし、大先輩・陳舜臣さんを前にしての発言なので、どこまでが本音で、全体像としてどうなのか…というところまでは断言できない。

ただ、この対談で象徴的かつ印象深かったのは、31頁の陳舜臣さんの「告白」である。

私は日本で生まれ育って、台湾には子どもの頃からよく行ってましたけど、中国には行ってなかったんです。だから台湾だけで中国を書くというのは何かね、人を騙しているみたいというか、ちょっと自信がなかった。もちろん人よりは、いろんなことを知っているだろうと思うんですよ。本をたくさん読んでましたし、歴史なら調べたら分かりますからね。 

あまりにも素直というのか、少年のような真っ直ぐすぎる感性で、陳舜臣さんの人柄をよく表してるように思えた。

私も、中国については色々書く。私は中国人でないし、中国に滞在した時間を総合計したとしても、日本にいた時間よりずっと少ない。

そんな私が「黒色中国」と名乗って、中国のことなら何でも知っていると言わんばかりに、アレコレ書いているのは、私も人を騙しているような気がしている。

でも、陳舜臣さんのような大作家でも、同じようなことを考えたことがあったのだ。

この点について、田中芳樹さんは何も回答していない…というのか、陳舜臣さんの台湾の仲間が政府の弾圧で銃殺された話に続いて、そこから鄭成功と鄭芝龍の話になってしまうので、「中国人でない者が、中国を書くこと」については語られずに終わってしまうのであった。

ただ、情報を整理すると、田中芳樹さんは幼い頃から中国の古典に親しみ、中国の歴史小説も書いているけど、最も著名な作品となった『銀河英雄伝説』は史実とも実際の中国とも無関係の「物語」であって、彼個人は幼い頃から中国に強く惹きつけられながらも、作家としての才能は中国から離れたところで大きく開花した。

この点、まだ結論を出すには早すぎるが、私が『銀河英雄伝説』を読破する上での「大きなヒント」が掴めたように思えたのであった。