昔、香港で勤め人をしていた頃、会社の近所にいつも通うレストランがありました。家族経営で、一家揃って仕込みから調理、接客、皿洗いまでやってるような小さな店です。
私は仕事が忙しかったので、混みあう時間は避けて、昼過ぎに行くことが多かったのですが、そうすると従業員が揃って、みんなで食事をしていたりする。
私はその店では麺類を食べることが多かったのですが、ある日、店に行ってみると、従業員たちが食べているものが非常に気になりました。
「その、魚が乗ってるハンバーグは一体何なのですか?」
私は広東語が出来ないし、店主の普通話は少し怪しいので、よく聞き取れないけれど「ハムユイなんとか」と言ってるのはわかりました。
店主はニコニコしながら、美味シイヨ、食ベテミナ…と薦めてくれるので、試しに頼んでみたら、すっかりハマってしまった…というのが、この「鹹魚蒸肉餅」なのでした。
「鹹魚」と書いたり「咸魚」と書くこともありますけど、いずれも同じもので、塩漬けにして発酵させた魚です。ちょっとクセのあるニオイがするけど、それが食欲を引き立ててくれます。
日本人的な感覚だと、蒸したひき肉の上に魚…という組み合わせは、変な気がしますけど、いわゆるアンチョビみたいなものと考えればよいかと思います。塩味と独特の風味を加えるための調味料みたいな…。
柔らかくジューシーな豚ひき肉の蒸したものに、ハムユイの塩味と風味がよく合い、ご飯が進みます。
こちらは「煲仔飯」(ボーチャイファン)という釜飯みたいなもの。上に乗っているのは鹹魚蒸肉餅ですね。
東アジアの米食文化圏でも、香港は日本と異なる発展を遂げたので、日本と全く同じの丼ものはないのですが、この煲仔飯の形式はかなり近いですね。
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香港は、今でこそ商業・金融・観光の街ですけど、昔は漁業と製塩ぐらいしか産業がなかった地域で、今でも香港人と仲良くなって話を聞いていると、父母、祖父母の時代は漁師だった…という人が結構いたりします。
昔の、冷凍設備がない時代だと、魚は干すか、塩漬けにしないと保存できませんから、そういう状況から「ハムユイ」なるものが生産され、香港の食文化の中に深く定着し、香港の家庭の味の1つになったのでは…と思います。
そういう背景を考えると、「美味シイヨ。食ベテミナ…」とニコニコしながら薦めてくれたあの店主とその家族は、祖先が漁師だったのかも。
以後、私はその店に行く度にほぼ毎回、鹹魚蒸肉餅とご飯とスープを注文するようになったのですが、すると、毎回支払いの時に店主が「今日モアレヲ食ベタカ…美味シカッタカ?」とニコニコ嬉しそうに聞いてくれました。
私は広東語が出来ず、普通話しかできない日本人で、香港にいると「ヨソモノ」扱いされているような気分でしたが、鹹魚蒸肉餅の美味しさを知ることで、香港人の内側に、少し近づけたような気がしたのでした。