黒色中国BLOG

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ウォン・カーウァイと上海

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私は90年代の半ば頃から数年、ウォン・カーウァイの映画にハマった時期があって、彼の作品を毎日繰り返し見ていた。それからしばらくして、香港へ移住したのだけど、それには彼の映画の影響が少なからずあった。

そこで、上掲のツイートをしたのだが、新作の舞台は上海である。ウォン・カーウァイが上海生まれだというのは、彼のプロフィールで何度か見た記憶はある。ただ、その詳細をよく知らないので、ちょっと調べてみることにした。

【目次】

上海⇒香港⇒米国⇒香港

▲まず、日本語のウィキペディアでウォン・カーウァイを調べると、

中国・上海出身、五歳のときに香港に移住。香港理工学院へ入学、グラフィック・デザインを学ぶ。卒業後テレビの現場を経て、脚本家として映画界にデビューした。

…としか書いていない。

▲そこで中国語版の方を見ると…

祖籍浙江舟山,生于上海

…とある。生まれは上海だが、祖籍は浙江省舟山市…今は中国海軍東海艦隊で有名な場所である。

そこから読みすすめると…

5岁时随父母移民香港,后再随父母移民美国。1980年在读了香港理工学院美术设计系两年后,

5歳の時に両親とともに香港へ移民、後に両親と共に米国へ移民。1980年に香港理工学院美術設計科で2年学んだ後…とある。

▲こちらによると、

王家卫出生于上海,5岁随着父母移民到了香港,再后来又随着父母移民到了美国,后来读书又回到了香港。

…とあるので、香港を経て米国へ移民し、学業のために香港へ戻った…とある。

ただし、百度百科のウォン・カーウァイの項目を見ても、米国移住については書かれていない。上海から香港に移った後の記述は

身为海员的父亲远赴马来西亚后留下王家卫和他的母亲相依为命 。虽然生活贫苦,但他的母亲却几乎每天都会带王家卫去电影院看电影,他从此与电影结下了不解之缘。

…となっている。船員の父がマレーシアに赴き、残されたウォン・カーウァイと母の生活は貧しく苦しかったが、母はほぼ毎日ウォン・カーウァイを連れて映画を見に行った。それが、ウォン・カーウァイと映画を深く結びつけることになった…とある。

生活が貧しいのに、なぜ毎日映画を見に行けるのか。

米国移住の件がなぜ百度百科では伏されているのか。

そういうところに深くツッコミ始めると、いつもの黒色中国になってしまうので、そこはパスするが、幼少期の移住経験と香港で母と共に見た映画が、ウォン・カーウァイに大きな影響を与えているのだろう。

ウォン・カーウァイがいた頃の上海

ウォン・カーウァイが5歳の時に香港へ移住した…ということは、彼が上海にいたのは1958年から1963年になる。「社会主義改造」というのが行われて、上海の街並みが少しづつ変化していた頃…まだ租界時代の雰囲気が残っていたと思われる。

両親が文革の予兆を感じて香港へ移住との説も見かけたが、文革が始まるのは1966年からなので少し早いが、文革より先に下放政策が始まっているので(なぜか日本語のウィキペディアでは文革後に始まったことになっているけど、実際は1955年頃からスタートしている)、ウォン・カーウァイの父母は身に迫る危機を察知していたかも知れない。

▲全部中国語だが、こちらに下放政策(上山下郷)の詳細が書かれている。

▲下放時代の上海をたどる旅の連投。「下放」といえば、大都市から遠く離れた僻地へ行かされる印象がありますが、実は上海の近郊にも下放先はありました。興味のある方は連投を御覧ください。

上海にいた頃のウォン・カーウァイ

▲いろいろ探していたら、こんな記事を見つけた。主に、ウォン・カーウァイの映像作品の中に織り込まれている「上海」を読み解く内容だが…

1963年,5岁的王家卫离开位于淮海路的上海的家

▲とあった。1963年に上海を離れたのは確定。

家は淮海路にあったらしい。

ようするに、フランス租界であろう。ウォン・カーウァイの原風景を覗き込むようで面白くなってきた。

ただ、5歳までしかいなかった上海に、なぜウォン・カーウァイが深い愛情を感じているのかがよくわからない。たぶん…香港に移っても、彼と父母…周囲の人々は上海出身なので、香港の中の「リトル上海」で育ったのが、上海への憧憬を強くしているのかも知れない。それらを描写しているのが、『花様年華』で…というのが、上掲の記事に書かれている。

* * * * *

私は香港へ移り住んでから、上海へ移住したので、ウォン・カーウァイとは逆コースを歩んだことになる。私は彼の映画のストーリーはどうでもよくて、彼の作品に描かれている街が好きで、香港に居る時に、ウォン・カーウァイ的な光景を探して撮影してまわっていた。ただ、改めて考えると、彼の生涯についてほとんど何も知らない。コロナで当分は香港にも上海にも行けないので、彼のインタビューでも読みながら、新作の公開に備えようと思う。

ウォン・カーウァイ

ウォン・カーウァイ