黒色中国BLOG

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ネットで誹謗中傷をされると自殺したくなる人の心理状態について

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木村花さんの件を持ち出すまでもなく、ネットで誹謗中傷されて自殺する人がいて、それはこの日本で「新たな日常」となっています。

SNSで…その多くは匿名で、誹謗中傷されたからと言って、どこの誰かわからない人なわけで、自分の肉親でも友人・知人でもない。学校の同級生でも、会社の上司や同僚でもない。SNSで誹謗中傷なんかやってる人間なんだから、よっぽど暇なのか、どうせ変な人なんだろう。

そんな人に誹謗中傷されたからと言って、別に死ぬ必要はないのでは…なぜ無視できないの?…この人は別に何かの悩みを抱えていて、誹謗中傷とは無関係に自殺しただけでは…と考えることもありました。

ただ、私もネットで長年誹謗中傷をやられてきたので、その心境の変化を整理してみると、「なるほど、だったら自殺することもあるのか」と思い当たることがありました。

そんな「発見」は、ブログに書くべきじゃないのかも知れませんが、心理的に追い込まれている人にとどまってもらうキッカケになるかも知れないし、身近にいる誹謗中傷の被害に遭っている人の心境を理解して、手助けすることが出来るかも知れないので、こちらに書いておきます。

【目次】

長年誹謗中傷が続くと、自分の生きる価値を肯定できなくなる

黒色中国は2009年にスタートしましたが、2014年ぐらいから、執拗な嫌がらせを受けたり、デマを流されたり、言ってないことを勝手に捏造されたり、よくわからない憎悪の対象になって、「死ね」と言われ続けるのが状態化して、7年ぐらい続きました。たぶん、フォロワーが増えて、たくさんの人にツイートを見られるようになったのがキッカケかと思います。

最初は、知らない人からムチャクチャに言われて、「死ね」と言われることにバカバカしく思い、言い返してやりたくなる、たまに言い返すわけですが、1つ言い返すと100倍ぐらい言い返されるのがネットでしてw、自己を肯定しようとする試み、私を否定する人への反論は、自分で自分の首を絞めることにしかならないわけです。

だから無視する。「無視」といっても誹謗中傷はちゃんと私の見える範囲に届いている。DMでも送ってくるし、ブログのメールフォームにも送られてくる。だから誹謗中傷されても我慢する。言い返さない。

ただ、それで一切何も考えない…ということはなく、頭の中で、たくさん反論を考える。一生懸命、自己肯定しようとがんばる。どこの誰か知らない人にでも、ちゃんと自分を理解されたいと願うのが人間の心理。日々のツイートの中で、自分を正しく理解してもらえるように色々書く。書かないとデマの自分がネットの中では本物の自分になってしまう。そういうのはとても怖い。

ただ、それでがんばって正しい理解を求めていると、また100倍ぐらいの否定やデマが届くのがネットでありましてw、だからそれもしなくなる。自分について書かなくなる。正しく理解されようとも考えなくなる。どうせ何やっても無駄なんだから。

ただ、自分の中での自問自答は止められない。

「自分は価値のないダメな人間か?…そうじゃない!」

「自分は早く死んだ方がいいのか?…そうじゃない!」

毎日、自問自答する。でも、心の中に「どこの誰かわからない人」を入れてしまった時点で負けなんですね。真面目に反論しようとするほど、誹謗中傷を仕掛ける人たちの罠にハマってしまう。

自問自答に疲れて、抵抗できなくなってしまう

ツイッターを開くと、毎日自分の悪口が書かれている。デマが流されている。嘘がたくさんツイートされ、たくさんRTされている。そんな状態が7年も続くと、もう疲れてしまって、「抵抗」するのをやめてしまう。心が疲れ切って、抵抗できなくなってしまう。

「自分は価値のないダメな人間なんだろう」

「そうだな、早く死んだ方がいいんだ。私は生きてちゃダメなんだ」

ネットを通じて、私の心の中に入りこんだ「どこの誰かわからない人」の言葉に抵抗せず、肯定して従うのが一番楽なので、「自分の価値」を認めない、「私は生きてちゃダメなんだ」と認めてしまう。

私自身は、特に自殺しようとは思わないのですが(家族もいるし、実生活の方でやることがたくさんありますので)、自己肯定感はすっかりなくなってしまった。「そうだろうな。私は早く死んだ方がいいんだろうな」とナチュラルに思えるようになりました。

デマや誹謗中傷は悪いことに違いない。でも、自分を苦しめている本質は、自分自身の「自己肯定」とか「承認欲求」に執着することであって、「心の声」に抵抗せず、素直に受け入れて、無駄なあがきはやめて、自分がいまやるべきことに集中しよう…と考えるようになったわけです。自分に生きる価値がないダメな人間であることと、私が明日以後も生き続けなくてはいけない事情は一切別なので、すぐに死ぬ必要はない。

元々私は自己肯定感が低いので(生まれてこの方、他人に褒められたことがほとんどない)、承認欲求への執着も低いため、こういう気持ちの切り替えができるのだろうけど、自己肯定感が高い人とか、承認欲求への執着が強い人が、ナイアガラの滝のような、怒涛の如き誹謗中傷を受け続けると、激しく抵抗して、反論して、自問自答して、クタクタに疲れて、心の声に負けて、「そうだろうな。私は早く死んだ方がいいんだろうな」と思うようになって、「実行」するのではないでしょうか。

万人に正しく自分を理解されることは絶対にない

「ネットの誹謗中傷」以前の問題として、万人に正しく自分を理解してもらえることなど絶対ありえないし、万人に自分を価値ある人間として肯定されることもない。メディアやネットで多くの人に自分を知られるキッカケがあればなおさらのことで、多くの人に自分が知られるほど、自分を誤解し、価値を否定する人が大挙して押し寄せる。

誹謗中傷は悪いことなので、法規制の強化など対策が行われるべきでしょうが、結局「最後」は自分の心の持ちようの問題。自分が世の中とどう向き合い、自分自身とどう向き合うのか…ということが重要ではないのか…と思うのです。