黒色中国BLOG

中国について学び・考え・行動するのが私のライフワークです

中国怪魚ガンユイの味、反日湖南人との和解

SPONSORED LINK

▲こちらの釣行の後、友人のお宅に招待されて、

f:id:blackchinainfo:20201004155804j:plain

▲彼がつりあげたガンユイを使った料理をいただきました。

日本人で、ガンユイを釣った…という人はそれなりにいるわけですが、ガンユイを食べた…という人は珍しいんじゃないのかな。私は残念ながらガンユイを釣ってないけど、食べることはできたので、こちらに食レポを掲載しておきます(^^)

湖南風清蒸鳡魚 

f:id:blackchinainfo:20201004182218j:plain

▲いきなり完成後の写真ですけど、ガンユイに生姜、唐辛子、豆豉、シソの葉を散らして蒸し上げたものですね。清蒸なので醤油や油なんかも入ってるとは思いますけど。

肝心のガンユイの味ですけど、脂はあまり乗ってないけど、白身がムチムチしてて柔らかく、滑らかな喉越し(これは調味料として加えている油の効果もあるとは思うけど、身そのものはパサパサしてない)、どこかで食べた記憶があるな…と感じて、思い返してみたら、「サワラ」に似ている。サワラから海魚の風味を消して、肉質を少し滑らかにしたら、ガンユイになりますね。

サワラもガンユイも、形もなんとなく細長で似ているし、獰猛なフィッシュイーターなので、味が似てくるのかな。素早く動くために、脂は少なめで筋肉質っぽいのですね。

シソの葉を入れてるから、臭み消しかな?と思ったのですが、シソの葉を入れるのは釣友の故郷である湖南の習慣であって、特に臭み消しのつもりはないそうで。ガンユイそのものに、目立った臭みはなかった。白身で美味しい魚でした(^^)

反日湖南人との和解

これを食べながら、友人と、そのお父さん(前回のリリースしたら怒る人)と話していたのだが、その前にちょっと話を挟むと、私は以前の仕事で湖南人にやたらと嫌がらせをされたので、本当は湖南人が好きじゃなかった。意地悪で強引で狡猾で、反日感情が強い人達なんだと思ってた。

たまたま、上海市内で釣りをしてたら、「こんなところでガンユイが釣れるわけないじゃんw」と声をかけてくれた彼と仲良くなって、友人になって、郊外までお父さんと一緒に釣りに行ったのだが、友人は湖南人だけど、ヨメと一緒に日本料理を食べに行くのが好き。夫婦共に日本料理にハマりすぎて、すき焼きを溶き卵で食べるし(※一般的に中国人は生卵を食べたがらない)、日本酒を飲むのが好きなんだとか。

でも、彼と長く話していると、ちょっと感情的に、私に「言いにくいこと」を抱えているような気がした。

お父さんの方は、釣り場で初めて一緒になったんだけど、最初全然話してくれなくて、好意的でもなかった。でも、「釣った魚をリリースするなんて間違っとる!」と怒り出して、帰りのクルマの中で、アレコレ敏感な話題(日中関係とか戦争のこと)を話している内に、少しづつ打ち解けてきた。

ガンユイを食べながら、酒が入ると、お父さんが上機嫌になってきて、

「ワシは、日本人キライじゃったけど、オマエは好きじゃ!今度、湖南のワシの家に遊びに来い!一緒に毛主席の家を見に行こう!」と言い出した。

湖南省の韶山に毛沢東の実家がある。お父さんの家からさほど遠くないらしい。湖南人にとって毛沢東は、日本に置き換えると、鹿児島県人にとっての西郷隆盛みたいな人である。毛沢東の実家を一緒に見に行こう!というのは、最上級の歓迎のつもりなのだろう。

それから、友人が少しづつ教えてくれたのだけど、彼の一族は、19世紀から始まる中国の戦乱期…太平天国の乱から辛亥革命、抗日戦争、国共内戦に至るまで、ほとんどの戦争に一族の誰かが参加していたらしい。湖南省は、広東省の北にあり、重慶や武漢にも近い…中国南部の中心にあるような地域で、戦争のたびにひどい目にあってきたが、太平天国の乱の時の湘軍を始めとして、ここから屈強な兵士がたくさん出てくる。友人はその一族なのである。

友人は自分の仕事について多くを語りたがらないが、鍛え上げた肉体や、たまに話す過去のことから察するに、軍歴があるのでは…と察せられた。父は軍歴がなく、実家で農夫をしていたが、大叔父(友人のお爺さんの弟)が抗日戦争に参加し、日本兵に銃剣で刺され、最近亡くなるまでの間、ずっと後遺症で苦しめられたという。たぶん、神経を傷つけたのだろうか。友人も父も、大叔父が抗日戦争で受けた傷で、苦しむところをずっと見てきた。彼らにとって、抗日戦争は最近まで過去のことじゃなかったのだ。

だから、お父さんも友人も、本来は日本がキライで、日本人ともほとんど接触がなかった。ただ、友人は釣りが好きなため、日本製釣具を信頼しており、上海に来てから食べた日本料理も彼の口にあった。それで、お父さんより日本への印象は悪くなかったらしい。

私はお父さんから、日中関係や歴史問題について率直な質問をたくさん受けた。

「釣魚島は中国のものか?日本のものか?」

「日中が戦えばどちらが勝つか?」

「日中が戦争になったら、オマエはどうするのか?」

その度に、後のことは運に任せて、正直に答えた。日本に積年の恨みを抱く彼らも、軽々しいお世辞や薄っぺらい平和論は聞きたくないだろう。それが返って良かったらしい。

「オマエは正直に自分の意見を言うたんじゃ!ワシが聞きたかったのは日本人が本当に考えていることじゃ!ワシはオマエ以外に日本人と話したことがない。オマエが日本人の本音を聞かせてくれたから、それでエエんじゃ!オマエはガンユイのために中国にやってきて、ワシの息子と会ったんじゃ!日本人が、そこまで中国を好きになってくれたんじゃから、過去のことはどうでもエエんじゃ!乾杯!」

…と、満面の笑顔で酒坏を突き出してくる。私と話すことで、お父さんが背負い続けた長年の重荷が下りたようだった。

白酒をたっぷり飲んで顔を赤くしたお父さんは、「がんばってガンユイを釣れよ!」と私を励ましてくれた。

* * * * *

その後、私の仕事が忙しくなったこともあり、ガンユイ釣りを再開できず、湖南のお父さんを訪ねる機会もないまま、歳月が過ぎた。今年の春から上海でガンユイを釣るつもりでいたが、コロナで行けず今に至る。

そういう経緯で、ガンユイは私が必ず釣らねばならない魚となったのであった。