黒色中国BLOG

中国について学び・考え・行動するのが私のライフワークです

心を病んだ人とツイッターで議論してはいけない理由

SPONSORED LINK

札幌の地下鉄駅で、ナタを持って暴れた男が話題になっているが、その件について3つのツイートをした。

こちらで札幌ナタ男のアカウントを晒すつもりはない。ツイッターで検索すればすぐみつかるので、その必要もなかろう。だが、彼のツイートは連投で書いた通り「既視感」があった。

私は以前、心を病んだ人に7年間粘着攻撃を受けた。その人物と札幌ナタ男のツイートは、よく似た内容だったので(※居住地が全然異なるし、年齢も顔も違うので同一人物ではない)、朝から驚いたわけだが、こういうものは人間の1つの「型」なのであろう。

ツイッターでは色んな人がいて、クソリプやら嫌がらせで、執拗に粘着してくるわけだが、彼らに「正論」で対応しようとする人がいる。「話せばわかる」というわけだ。よもすれば論破して、言い負かしてしまう人もいるわけだが、それが極めて悪手である…ということについて、私の経験談を踏まえて、こちらに書いておきます。

心を病んだ人は、正論を理解できない。

今年で私はツイッターを始めて14年になる。最初の頃は、「どんなリプライにでも、全て返答する」ようにしていた。こちらは無名で匿名のブロガーにすぎない。どんなリプライでも反応をいただけるのが嬉しかった。だから誠実な対応を心がけていたのだが、こういう対応をやっていると、「かまってちゃん」が集まり始める。そうした中に、様々な事情で心傷ついた人、心を病んでいる人がいるのは知っていた。

私自身、今までの人生で、精神的に辛いことはあったので、そうした人々に同情するのだが、心を深く病んだ人は、「かまってほしい」「私を受け入れてほしい」「私の意見を認めてほしい」という欲求が強すぎるので、こちらの正論を理解しないのである。

別に奇をてらった「正論」でもなく、ごく当たり前の常識がわからない。というより、そもそも他人の意見を聞いてない。自分に寄り添ってくれるまで、ずっと堂々巡りの議論をシツコク繰り返す。「正論」よりも「シツコサ」で、相手を征服しようとする。

心を病んだ人は、損得抜きで粘着してくる。

心を病んだ人は、朝から晩まで粘着してくる。休日でも深夜でもシツコク、クソリプを送り続ける。無視すると、私がツイッターで他の人と話しているところに、割り込んできて、私の話し相手にリプライを送り続ける。ブロックすれば、誹謗中傷を流し続ける。私とツイッター上で関係のある著名人に私のデマを吹き込み、関わるのをやめた方がいい…と警告する。

心を病んだ人は、こちらの時間を根こそぎ奪い、人間関係を破壊する。

そんなことを朝から晩まで、休日も深夜も、ひっきりなしに、数年にわたって続けるのなら、それらの莫大な時間を勉強に使えば資格の1つでも取れるだろう。バイトや仕事をすれば、それなりに収入もあがるだろう。家族サービスに使えば、家庭が円満になるはずである。

そういう考えは、正常な人間のものであって、心を病んだ人はそうは考えない。一旦取り憑かれると長く粘着される。私は「7年」と書いたが、それは最長の事例で、数週間、数ヶ月、数年のものは他にもある。

心を病んだ人のために出来ることは、「関わらない」ことである。

長期にわたって粘着されると、「どうしてこの人は、こうなってしまったのだろう?」と思うわけだが、過去のツイートを読んでいると、恵まれない家庭環境、破綻した夫婦関係、長期間にわたる持病や介護、自分や家族の交通事故、性的暴行…などの辛い過去が書かれているのであった。

この人達は、不遇な運命によって心が壊れて、ただ理解と癒やしを求めて、ツイッターに来ているのだ。

ただ、申し訳ない。私は家族でなければ医者でもない。赤の他人なのだ。

同情はする。ただ、こうした人々のためにできる唯一の選択は「関わらないこと」である。

変なリプライが届くと、まずはプロフやツイートを見に行く。そこに病歴や入院歴、睡眠導入剤などの服薬について書かれていたり、希死念慮、自傷願望、自殺願望、殺傷願望について書かれていれば、すぐに通報し、ブロックするようにしている。

可哀想とは思うが、「関わらないこと」が、お互いにとって最良の選択なのである。