近年、ネットで中国関係の情報を見ていると、福澤諭吉の『脱亜論』が引用されているのをよく見かけるのだが、思い返してみるとまともに全文を読んだことがなかったので、ネットで探してみたら、簡単に見つかった。版権が切れているからであろう。
http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html
▲こちらに全文が掲載されている。でも、読むのが大変そうである。
http://yusan.sakura.ne.jp/library/datsuaron/
▲こちらは現代語訳の全文。こちらの方がわかりやすい。
ご覧の通り、『脱亜論』はさほど長い文章でもないので、早速読んでみた。一読して得た感想は、現代において「脱亜論」が引用される時は「脱亜」…すなわち悪友たる「中韓の謝絶」に重点が置かれて語られるけれど、本来の主張は、西洋近代文明を受け入れて、西洋の侵略を防ぎ、アジアを発展させましょう…ということではないのか。
現在の戦略を考えるに、わが国は隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はないのである。むしろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退をともにし、その支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別扱いするに及ばず、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。(『脱亜論』現代語訳より)
「脱亜」がタイトルに含まれているけど、「脱亜」は手段でしかなく、「脱亜論」が目指しているのは、近代化と西洋の侵略防止、そしてアジアの発展の方ではないか。それに、「特別扱いするに及ばず、まさに西洋人がこれに接するように処置すべき」とあるので、福澤諭吉は中韓の後進性を指摘しながらも、中韓差別を奨励しているわけでもない。
やっぱり、原文をちゃんと読むべきだ…と思った次第である。