5月の連休の間、上海の友人の家にいたのはhttps://t.co/lFpIqmCSAl
— 黒色中国 (@bci_) 2017年5月25日
▲こちらの連投でお伝えした通りだ。今晩からはその「後日譚」をツイートしようと思う。あまり皆さん興味ないかも知れないが、私にとってはここからが本題でもあった。連休の間、色んなことがあったのだ… pic.twitter.com/uk12h0WoRe
最近は、5月の連休の際の上海の記録をずっと連投している。本来このような長い長い連投はブログでやるべきだが、ここまで長い連投をする人も他にほとんどいないし、最近はつまらなくなる一方のツイッターに、新風を吹き込めたら…と思い挑戦している。
ツイッターだと、即時に色んな反応が帰ってくるのが面白い。その中で興味深い質問があったので、その1つを、こちらにまとめておこうと思う。
「衛」の簡体字はなぜ「卫」なのか?
▲連投は長大になりすぎたので表題の件までたどりつくのが大変と思われるが、親切な方がちょうど区切りの良いところでまとめてくれているので、こちらをご参照して頂きたい。
「威海衛」や「金山衛」などの「衛」の字は、なぜ簡体字にすると「卫」になってしまうのか…
今回の連投以前に書いたブログ記事でも、「衛」について触れたけど、その時からなぜ「卫」になるのかはずっと気になっていたので、調べてみたところ、意外なことが判明した。
「衛」の一部が変化した説と日本のカナ由来説
▲こちらは中国のネットでの拾い物。「卫」に簡化された由来には2つの説があり、
(1)が「衛」の真ん中の上の部分を取って、それが変化した説。
(2)が日本のカタカナである「ヱ」から来ているという説である。
ただし、この「ヱ」は元々は「惠」の草書だ。ところが…
▲こちらは大漢和辞典の記載らしいのだが、「ヱ」の説明に、「衛に假借す」とある。
日本でもたとえば、「石川五右衛門」などの「衛門」を「ヱ門」と書くのは古くからあるらしい。
そもそも中国でこのような使い方をしていたのが日本に伝わったのか、日本での使われ方が、中国に逆輸入されたのかはいまのところ不明である。
ツイッターでいただいた情報
このブログ記事を公開した後、「卫」について幾つかの情報が寄せられた。そのうちの2つをこちらに追記する。
【卫】「衛」の簡化字。日本の片仮名「ヱ」を借りて1930年代に工農紅軍が使いはじめたもの。1W04 pic.twitter.com/q4jqUS1QIJ
— 簡化字bot (@jianhuazi_bot) 2017年6月1日
▲簡化字botさんにこのようなツイートがあった。ソースは何なのでしょうね。工農紅軍の中に日本人か日本語が出来る人がいたんでしょうか?
▲こちらは非常に「卫」の由来が詳しく解説されていました。内容を要訳すると…
- 20世紀以前、「卫」の字は中国にはなかった。
- 「卫」は18世紀頃に日本で出現した。これは新井白石の著作『同文通考』に見られる。
- 20世紀以前の中国で「卫」に似たような、あるいは同じ字形は記録されていない。
- 最も早く「卫」を記載したのは日本である。
- 「卫」はおおよそ日中戦争頃から使われ始め、最も早くに見られたのは中国東北部と東部の解放区(中共の支配地域)、あるいは解放区に近い日本軍の支配地域である。
ここまでしっかり解説されているところを見ると、やはり「卫」は日本語の「ヱ」が由来であるのは間違いないと見て良いようですね。