黒色中国BLOG

中国について学び・考え・行動するのが私のライフワークです

「昔は日本も中国に対して、今ほど嫌悪感を持っていなかった」理由

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ツイッターでいつも仲良くしていただいているNEKOさんから質問が寄せられました。

ツイッターのリプライで書こうと思ったら長文になって、連投にするのも大変だったので(最近、誤字や打ち間違いが多くて、連投が好きじゃないのですw)、ブログでまとめて返事を書いてみようと思いました。

40年前の日本の対中感情は、現在と真逆だった

▲こちら、全文読む必要はありません。「中国に対する親近感調査結果」というグラフのみでOKなので、御覧下さい。現在30代より下の人だと、衝撃的なデータになってるかと思いますw

昔はそれが普通だったので、今の日本の反中感情の高まりが異常のような気もするのですが、とにかく昔は親中的なのが普通だった。なぜそんなに中国への好感度が高かったのか?警戒心がなかったのか?ということになるのですが、イチイチ挙げ始めるとキリがない。

それで、要点に絞って手短に説明すると以下のようになるかと思います。

昔、中国は貧しく、日本人は優しかった

私が子供の頃の日本での中国の印象は、まず「貧しい」ということ。

私の祖父母も父も、私が中国語を始めるというと、「あんな貧しい国の言葉を学んで何になるのか」と口を揃えて反対しておりました。テレビでも、中国の一般庶民の姿が映し出される時は、人民服に自転車の中国人ばかりで、その生活ぶりも決して豊かなものではなかった。

それでも、少しづつ留学生が日本に来ていたので、私は一度、近所に住む中国人留学生と知り合いになって、彼の家に遊びに行ったことがあるけど、部屋の中にはほぼ何もなかった。最低限の食器と、数着の服と、本と筆記用具ぐらいで、全ての家財道具一式が、機内持ち込みサイズのスーツケースに収まるんじゃないか…というほどの量だけ。

日本に着いたばかりかと思ったけど、聞いてみると既に数年日本にいるとか。それを私の母に言うと、気の毒に思って、彼のために料理をたくさん作って、私が持っていったこともある。

近所の人からも、「中国人さん」「留学生さん」と呼ばれて、貧しい国から来られて苦学されている…とリスペクトされていた。

その時の日本の「空気」を映像化した作品があって、

▲大林宣彦監督の、映画『北京的西瓜』。機会がありましたら、ぜひ御覧下さい。

▲こちらは大林宣彦監督自身が作品を語る動画。

昔、日本は豊かだったし、中国ははるかに貧しかった。日本人には心の余裕があって、貧しい者への哀れみがあった。わざわざ日本へ来て苦学している若者がいれば、助けてあげようと思うのが普通だった。少々、日本の生活習慣がわからなくて、迷惑なことをしたとしても(ゴミ捨てがどうのとかありますよね)イチイチそれで怒る人も少なかったのでした。

「100円の回転寿司」事件

以前、私が友人から聞いた話ですけど、友人は中国で日本語を学んで、日本人女性と結婚した中国人でした。彼は妻と一緒に日本に移り住み、子供もいたけれど、ある時失業してお金がほとんどなかった。

夏の暑い日に、何らかの事情で、まだ幼稚園児だった子供と一緒に遠方へ行かなければいけなかった。鉄道に乗るお金を節約して、炎天下の中をずっと歩き続けた。

ノドがカラカラになって、お腹も空いて、子供が泣き始めてしまった。その時、目の前に、「100円」と看板に書いた回転寿司屋さんがあったので、そこに飛び込んで、子供と一緒に寿司をタラフク食べた。

彼は、当時まだ日本語がそんなに上手くなかったし、暑さで頭がモウロウとしていたので、「1人100円で食べ放題」だと勘違いしていたのでした。

支払いの時に、自分の間違いに気づいて、言葉がイマイチ通じにくいこともあり、他の店員も店長もみんな出てきて、大騒ぎになった。彼は、謝罪しつつ、警察に通報されるのを覚悟したけれど…

店の人たちは、彼が中国人であることを知って、誰も咎めようとしなかった。「今日のお代はお1人100円で結構です。」と笑顔で代金を受け取って、「こんな暑い中、子供も大変でしょう」と気遣いつつ、子供が道中で飲むための水までも用意してくれた。店は最後まで彼ら親子を「お客様」として送り出してくれた。

彼はずっとそのことに恩を感じて、そのエピソードをアチコチで話した。「日本人はこんなに優しいんだ」と、日本人にも、中国人にも自慢した。

実はこの彼は、

▲こちらの連投に書いた「友人」で、今は帰化して日本人になっている。この連投の東北料理店でのエピソードは、

「社会を変えよう」といわれたら

「社会を変えよう」といわれたら

  • 作者:木下 ちがや
  • 発売日: 2019/04/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

▲木下ちがやさんの、こちらの本にも収録されていたりします。

これはかなり特別な事例ですが、私はこの話を聞いた時に、「昔の日本ならそれも十分ありえるだろうな」と思いました。 

というのも、日本人が中国人に対して、このように優しくなる背景には、その少し前に非常に大きな「事件」があったのでした。

中国残留孤児問題

私の祖父母や父が、中国を語る時、「貧しい」という印象が強くて、私が留学することについては反対なんだけど、留学生に対しては優しくなる…こういうのは、当時の日本人の大半に共通した反応だったと思います。

そして、中国残留孤児問題について、非常に心を傷めていました。

私は当時、子供だったので、詳しい内容を知るのは後のことですが、祖父母や父が残留孤児のNHKのテレビ番組を真剣に見ているのを、一緒に眺めていた記憶があります。

▲これはNHKがやってた番組とはかなり違うのですが、参考まで。

NHKでやってたのは、第X次の残留孤児が来日し、肉親探しをしております…という内容。夜遅くに、顔写真が次々に映されて、中国名、記憶している時は日本名、またはおぼろげに覚えている親兄弟の名前、親とはぐれた場所、形見の品…みたいなのが読み上げられる番組でした。

私の祖父母はずっと日本にいたので引揚者ではなかったけど、少し歴史の歯車が違っていたら、祖父母は満州へ行ってたかも知れない。実際、祖父母の友人・知人には満州から引き上げてきた人がいたので、他人事ではなかった。

父も、日本にやってきて肉親探しをしている孤児たちと同世代だった。子供の頃に、戦災孤児を見た記憶を語っていたこともあった。だから、中国残留孤児に対して、全く他人事には思えなかったのか。NHKの肉親探しの番組をずっと真剣に見ていました。

大地の子(一)

大地の子(一)

  • 作者:山崎 豊子
  • 発売日: 2012/09/20
  • メディア: Kindle版

山崎豊子の『大地の子』のヒットには、そうした背景があるわけで、多くの日本人が残留孤児問題を自分のことのように感じて、心を傷めていた。

私は今でも時折、日本に引き上げてきた残留孤児や、残留孤児の子供たち(親が日本人+中国人)と会うことがあります。

私は両親ともに日本人で、日本生まれの日本育ちだけど、中国語が出来て、中国との関わりが長いので、残留孤児やその子供たちと会うと、お互いに懐かしい気がする。それで、会話がいろいろ弾むのだけど、今まで人に言えなかったこと、普通の日本人にはわかってもらいにくい辛い体験を聞かされることがある。

彼らの告白を聞いていると、彼らの良き理解者になりたい…日本は中国の良き隣国であらねば…と思ったりもします(いや、私は反中だから、とりあえず「思うだけ」ですw)が、かつて大半の日本人が、残留孤児に対し同情を寄せたわけで、そういう心情が、「昔は日本も中国に対して、今ほど嫌悪感を持っていなかった」理由じゃないかな…と思うのです。

40年の経過で、終戦直後の体験者がこの世を去った

▲もう1度こちらのリンクを張りますけど、「中国に親しみを感じる」は1980年の78.6%がピークで、1985年の中曽根首相靖国公式参拝、1989年の天安門事件で親中度が落ちて、21世紀に入る前後で歴史問題と領土問題が激化し、「反中度」と逆転し、2010年には「親しみを感じない」が77.8%になっています。つまり30年かけて、「親しみを感じる」と完全に入れ替わったわけです。

それから更に10年が経過して…

▲こちらは先程のリンクの調査の元になっている内閣府調査の去年のデータですけど、

(3) 日本と中国
 ア 中国に対する親近感
 中国に親しみを感じるか聞いたところ、「親しみを感じる」とする者の割合が22.0%(「親しみを感じる」3.9%+「どちらかというと親しみを感じる」18.2%)、「親しみを感じない」とする者の割合が77.3%(「どちらかというと親しみを感じない」36.4%+「親しみを感じない」41.0%)となっている。
 都市規模別に見ると、大きな差異は見られない。
 年齢別に見ると、「親しみを感じる」とする者の割合は18~29歳で、「親しみを感じない」とする者の割合は60歳代で、それぞれ高くなっている。

『「親しみを感じない」とする者の割合が77.3%』なので、2010年よりもちょっとマシなぐらいですね。2010年は尖閣諸島中国漁船衝突事件があったのですが、それ以来ほぼ変わってない。

こういうのは、先程も述べたように、残留孤児問題を身近に感じていた人たち(残留孤児またはその親と同世代)が亡くなられたり、残留孤児問題が遠い過去になってしまったために、中国に対しての優しい気持ちが薄れてしまったのではないかな…と思うのですね。

ただ、内閣府調査によると、18~29歳の世代で、対中感情は改善している。人口比で言えば、それらの若年層は日本で少数のはずですけど、世代交代が進めば、また日本は以前のような親中の国になるのかも知れません。

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▲国交回復で、中国人留学生が日本へ来始めた頃は、日本人の中国人への印象は良かったのですが、それから中国人移民が殺到するようになって、随分と印象が悪化したように思います。こちらは、私が上海で出会った日本へ移民を希望する中国人のお話です。

▲こちらは日本人の対中感情が悪化した後のエピソードになります。

▲石平さんも、そもそもは日本へ留学生としてやってきたのでした。こちらに、私が母の手作り料理を持っていった中国人留学生のエピソードを、もう少し詳しめに書いております。