黒色中国BLOG

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ミャンマー内戦に中国軍退役軍人数百名が参戦?

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中国・雲南省の公安が「逃亡兵」の通知…官製メディアがコーカン軍に中国籍兵士がいるのを証明…という記事。

日本で、こういうことに興味がある人は少ないと思いますが、私的には好きなタイプの話です。日本ではほとんど紹介されないこの手のニュースの中にこそ、我々が知り得ない中国の姿が垣間見られるのです。

背景:ミャンマー政府軍とコーカン軍の内戦

今回のニュースの要訳に入る前に、ミャンマーの内戦についてご存じない方は、下記のニュースを御覧ください。

▲こちらは2015年2月の話ですが、この時に始まった内戦が現在も続いており、ミャンマー側からは、中国の関与が何度も指摘され、中国はずっと関与を否定していたのですが、このほど中国当局の公式情報から、中国人兵士が参戦していたことが証明された…というわけです。

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▲コーカン(果敢)は、中国雲南省とミャンマー(緬甸)の中間にあります。

ウィキペディアによれば、

コーカンはミャンマー、シャン州北部の特区で、漢民族が集住する地区。現在は憲法によって政府から自治権を得ており、自治区となっている。

…と説明されています。

中国軍退役軍人数百名からなる「熱血志願軍」

云南临沧公安发通知“抓逃兵” 官媒证实缅甸果敢军有中国籍士兵

記事を要訳すると以下のようになります。

  • 雲南臨滄公安局が出した「協査通報」が最近、中国内のインターネットで話題となっている。
  • この「通報」は、ミャンマーのコーカン同盟軍県大隊の中国籍新兵である呉波が、数日前に部隊から逃亡したとの内容で、「既に臨滄市に来ており、もし発見したらすぐに猛永派出所までご連絡下さい」と呼びかけられていた。
  • 「通報」によれば、呉波は重慶人で1997年1月9日生まれ。20歳の誕生日の前日にコーカン同盟軍から逃亡、五六式自動小銃(訳注:AK-47III型の中国製コピー)1丁の他、マガジン8つ弾丸手榴弾を所持したまま逃亡していた。

  • 臨滄猛永派出所によれば、既に呉波は臨滄公安局により捕まえられているが、当局は呉波がコーカン同盟軍から逃亡した原因を公開していない。

  • 2015年2月、コーカン同盟軍とミャンマー政府軍の間で勃発した戦闘は現在も続いている。

  • ミャンマー政府軍は、かつて大量の「中国傭兵部隊」がコーカン同盟軍の作戦に協力していると指摘していた。

  • しかし、コーカン同盟軍の司令官である彭家声(訳注:この人は中国人です)は取材に対して,中国政府との間で矛盾を生じさせないために望まない、「中国人を作戦に用いることは絶対にありえない」として、中国政府の関与を否定していた。

  •  しかし、中国のネットでは、コーカンでの作戦における中国人の情報が絶えない。

  • 情報によれば、コーカン同盟軍内には、中国の「熱血志願軍」がおり、少なくとも数百名が参加…それらの多くは中国軍の退役軍人である。

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▲コーカン同盟軍(百度百科より)

逃亡兵・呉波さんの過去

呉波さんの消息は次のニュースに詳しく出ていました。

幾つか訂正&追記すると…

  • 呉波さんは1月10日に逮捕。
  • 所持していた銃は2丁。弾丸380発、手榴弾は4つ。
  • 呉波さんが2歳の時に母が家を離れた。
  • 父は病気を患い、呉波さんはずっと父の看病をしていたが、2012年に父はなくなった。
  • 彼の性格は内向的であった。
  • 長年、出稼ぎをしていたが、仲間と盗みをはたらき警察に捕まったこともあった。
  • 2016年の夏に1ヶ月、故郷に戻っていた。

訳している内に、可哀想な気がしてきました…。

去年の夏に実家へ戻っていたということは、コーカン同盟軍に参加したのはそれ以後…「新兵」として活躍していたのは長くても数ヶ月程度と思われます。

中国・ミャンマー国境地帯を支配する中国人たち

彭家声とは、1931年に英領時代のビルマ・コーカン地区で生まれた中国人。親は四川省の人。コーカン地区は中国とミャンマーの国境地帯で、中国人が多い地域です。彭家声はここの特区政府主席になります。

▲中国語が読める人はこちらを御覧ください。

▲中国は、ミャンマーにかなり前から介入してまして、こちらの記事で紹介した林明賢は、元紅衛兵で、1968年に雲南辺境へ行き、その後出国してビルマ共産党に入り、1969年にビルマ人民軍の兵士となってビルマ政府軍との戦闘に参加。彼の妻は彭家声の娘だったりします。

2009年8月にもコーカンでは政府軍との戦闘がありましたけど、その際にコーカンの「難民」1万を中国が引き受け、その中にはコーカン同盟軍の兵士もいた…と言われています。ようするに、ミャンマー政府軍に追われたコーカン同盟軍の兵士を「難民」として中国側にかくまっていたのでしょう。

熱血志願軍兵士の手記

記事では中国軍退役軍人数百名による「熱血志願軍」がコーカン同盟軍に参加しているとのことですが、そもそも今回の話の発端であった「中国籍新兵」である呉波さんは中国軍の退役軍人ではありません。

中国人にも色んな人がいるので、一山当てようと思ってこういうところに来る人もいれば、ゲームが好きで海外の戦争に参加する人もいます。呉波さんもその手の一人だったのかも知れない。

だから、呉波さんの存在が、中国当局の手によって公式に証明されたといっても、それが「熱血志願軍」数百名の中国軍退役軍人の存在の証明にはならないように思います。

一个中国热血志愿军在果敢作战的真实故事

▲こちらは、コーカンでの戦闘に参加した「熱血志願軍」の中国人兵士の手記になります。この手記をどこまで信用していいのかわからないのですが、要約すると…

  • ミャンマー政府軍は「大ミャンマー民族主義」を推進している。
  • ミャンマーでコーカン人(中国から移住した漢民族)は「二等公民」として迫害を受けている。
  • ミャンマー政府軍は毒ガス弾を使用したり、軍人・難民を問わず残虐行為、虐殺を行っている。
  • 手記の執筆者は、ニュースで退役軍人などの志願者が、コーカンでの戦闘に参加しているとの情報を知り、大荷物と1千元を手にやってきた。
  • ただし、手記の中で「退役軍人」が出て来るのはそのニュースの部分のみ。
  • 熱血志願軍に参加する人には3種類あり、1つは一山当てるつもりの人、または民族利益のための人、もう1つは刺激を求めて戦争を体験してみたい人…と説明されていますが、ここにも退役軍人のことは出てきません。

最近ミャンマーで、ロヒンギャが迫害を受けているのが明らかにされていますが、そういうことを考慮すると、コーカン人への迫害もあるのかも知れません。コーカンの場合、内陸で難民化しても中国側に逃亡するだけなので、ロヒンギャと違って国際問題になりにくいのもあるでしょう。

このようなコーカン人(漢民族)迫害の状況を見て、義憤にかられた中国人が「熱血志願軍」に参加する…という状況があるのでしょうか。ちなみに、熱血志願軍兵士はミャンマー政府軍に拘束されても「捕虜」としての扱いが受けられないそうです。

この熱血志願軍に中国政府がどれだけ関与しているのか、真相は不明ですけど、手記の内容が事実であれば、政治的意図とは別で、ちょっと手を貸したくなる政府・軍の関係者がいても不思議ではないと思います。

また他に情報があれば、当ブログでお知らせしようと思います。

ミャンマーを知るための60章 (エリア・スタディーズ125)

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