▲こちらの記事は大変たくさんの人々に見られ、多くの反響が寄せられました。ただその中で
以前、どこかで中国人の読者さんが「(主人公のひとりの)”ヤン・ウェンリー”という名前は中国名としてありえない」と感想を漏らしていて、あちらでも読まれているんだ!って驚きました。
— 篠原悠希☆金椛国春秋 (@persian_pardeis) 2019年5月28日
中華圏の方に言わせると、ヤンという名前は珍しい部類。ドイツ語圏の方の意見では、ラインハルトという名前は古くさい(日本でいうと〜衛門的な)感じだそうです。まあ、はるか未来のお話しですので、感覚も現代人とは異なる……ということでお許しください(笑)。
— 安達裕章 (@adachi_hiro) 2019年5月28日
…というリプライがありました。
つまり、
- 「ヤン」という姓は中国では珍しい。
- 「ヤン・ウェンリー」という名前はありえない。
というわけですが、この点、私も気になって調べましたので、その内容をこちらにまとめておきます。
【目次】
- ヤン・ウェンリーの中国語表記
- 「楊」は中国で6番目に多い姓。そして…
- 四川出身者に名将・優れた戦略家は多い
- 楊姓は珍しくないが会ったことは少ない(私の経験)
- 「文里」について
- 余談:父の名前について
- 追記:「公式認定」されました!w
ヤン・ウェンリーの中国語表記
▲百度百科(中国のウィキペディアみたいなもの)にヤン・ウェンリーの説明が設けられている。中国語での表記は「楊威利」(yang weili…敢えてカタカナで音を書くと「ヤン・ウェイリー」)または「楊文里」(yang wenli ヤン・ウェンリー)になる。公式での漢字表記が「楊文里」とも書いてある。
なぜ「威利」と「文里」の2つがあるのかは不明。
「威利」は一般的に「Wylie」の中国語表記であり、
▲こちらでは「Wily」(ワイリー)の中国語表記にもなっている。ちなみにこちらの威利氏はカプコンのゲーム「ロックマンシリーズ」に出てくる「Dr.ワイリー」のことである。
「楊」は中国で6番目に多い姓。そして…
▲こちらの「楊姓」の解説から要訳すると…
- 「楊」という姓は、最も初期では春秋戦国時代の楊国があり、隋王朝と南呉(五代十国時代の十国の1つの政権)の国姓であった…とある。つまり君主の姓である。隋の煬帝の本名は「楊広」である。南呉を建てたのは「楊行密」である。
- 楊姓は『百家姓』(中国の代表的な姓を記載した本)で16番目に取り上げられている。
▲クリックで拡大できます。
▲『百家姓』について詳しく知りたい方はこちらをご参照下さい。 - 楊姓の人口は、2015年2月時点で中国に約4270万人存在し、中国で6番目に多い姓である。その中で四川省には約380万人の楊姓がおり(つまり楊姓全体の8.8%)、楊姓が最も多い省となっている。つまりこの380万人の四川人がヤン・ウェンリーの祖先にあたる可能性もあるわけだ。ただ今の処、私は『銀河英雄伝説』の小説の冒頭を少し読んだのと、『我が征くは星の大海』を観ただけなのでヤン・ウェンリーに四川人としての特徴を見つけるには至っていない。
そう言えば、汁なし担々麺で有名な池袋の四川料理店も「楊」ですね。
— ザ・スターリン (@winker0013) 2019年5月28日
▲ちなみに、こういう情報もありましたw
四川出身者に名将・優れた戦略家は多い
1つ気にかかることといえば、四川省は名将と呼ばれる軍人が多いこと。
▲中華人民共和国の建国に貢献した「十大元帥」の内、朱德、聶栄臻、陳毅、劉伯承の4人が四川人。
そして、「十大将軍」の内、羅瑞卿が四川人である。
さらに忘れてはいけない1人として鄧小平も四川人。
日本で鄧小平は政治家として知られるが、鄧小平は1927年にフランス留学から帰国後ゲリラ活動を開始、長征に参加し八路軍の政治委員となり、1946年以後の国共内戦で大きな戦果をあげたという。その後、人民解放軍の総参謀長も務め、毛沢東の死後、国家指導者として「改革開放政策」で現在の中国の基礎を作り上げたが、広い目でみると「偉大な戦略家」であるのは間違いない。
だから、ヤン・ウェンリーが四川人の末裔…というのは、まんざら冗談でもないように思えるのです。
楊姓は珍しくないが会ったことは少ない(私の経験)
▲私が子供の頃に流行したテレビCMで即席麺の「楊婦人(マダムヤン)」というのがあった。志村けんのコントのネタにもなっていたので、「マダムヤーン♪マダムヤァーン♪」と私もよく歌ったものだがw、子供ながらに「楊」が中国人の姓とわかっていたので、楊姓は珍しくもないものだとばかり思い込んでいた。
先に説明した内容からもわかるように、楊姓は中国で多い姓の1つになっているものの、私が北京に留学していた頃に、楊さんに会うことはなく、その後各地を転々とした時もあまり出会うことはなかった。覚えている限りであげると、山西省で1回、上海で1回、香港で1回。香港の楊さんは四川出身だった。そして日本でも1回あった。
だから、私自身も経験的には楊姓が多いという印象がない。
たまたま、会ったことが少ないのか、もしくは楊姓の人はどこかに固まって存在し、私はたまたまその場所に行ったことがないのか。
「文里」について
文里という名前についても考察してみたが、この名前を持つ実在の人物はいくつか見つけられた。特に珍しい名前でもなかった。
▲劉文里さんは、1956年生まれでハルピン理工大学の教授である。
▲張文里さんは、華東理工大学で有機化学工業を研究する学者である。
▲王文里さんは、1928年に山東省で生まれた画家で、美術家協会遼寧分会の副主席である。1945年に八路軍に参加、文工団の分隊長、区隊長を歴任、美術教員でもあった。
余談:父の名前について
この調べ物のついでに、ヤン・ウェンリーの父の名前が「楊泰隆」(ヤン・タイロン)であるのがわかった。父は貿易船の船長らしいが、「泰隆」とは随分と立派な名前である。
「泰」は大きなこと、ゆとりなどを意味し(例:天下泰平、泰然、安泰など)
「隆」は高く盛り上がる、勢いが盛んになることを意味する(例:隆盛、隆起、興隆など)
この2字は、香港などで見ると、豪華なレストランや金融業などで使われやすい、縁起の良い漢字である。
そして中国には「泰隆金控集団」(タイロン・ファイナンシャル・ホールディングス)や、「泰隆商業銀行」というそのまんま「泰隆」が使われている金融機関があったりするのだ。
この「泰隆」というゴージャスな名前の父が、なぜ子供に「文里」という地味な名前をつけたのかがわかりませんが、このあたりの真相は、作品を読み進める内に解き明かされるものとして期待しようと思います(^^)
追記:「公式認定」されました!w
この記事の公開後、「ヤン・ウェンリー=四川人末裔説」は田中芳樹さんの秘書である安達裕章さんの目に止まり…
▲ついに公式認定されてしまいましたw
言い出しっぺの私としては嬉しいのですが、本当にこれでいいのでしょうかw。銀英伝ファンの皆さん、ごめんなさい(^^)