最近のマイブームで「自分の中の14歳に教育する」というのがあって、人間年取っても自分の中に14歳の少年がいると思うんですよ。好奇心とか今まで使わず眠らせていた才能とか。自分の中の14歳と向き合って、これからの時代のために、「彼」に何を与えて、やらせるべきなのかをずっと考えております。
— 黒色中国 (@bci_) 2017年12月6日
▲フォロワーさんとの会話の一部だったこのツイートが、地味にRT伸びております。こちらについてちょっと深掘りしてみようと思います。
【目次】
元々はパソコン少年だった私
私は小学校3年生ぐらいの時に、テレビや漫画雑誌を通じて、「マイコン」とか「パソコン」という言葉を知るようになって、ものすごく興味津々でしたが親は全然そういうものを知らないし、家の近所にもそんなものはありませんでした。
なので、近所の図書館へ行って、司書さんに「マイコンの本はありますか?」と聞いたら、雑誌コーナーの一角を教えてもらい、それから学校が終わると図書館に行って、パソコン雑誌を読む…という日々が続きました。
当時、パソコンが自分で買えるものとは思ってなかったんですけど(万単位の買い物の経験がなかった)、いつかは欲しいなぁ…と思い始めたのが小学校4年生の頃。親に話してみると大反対されました。
私の父親は読書家でスポーツマンだったのですが、「コンピュータ」が良いものとは思っておらず、家にこもって電子機械をいじってるよりも、もっと外にでてスポーツをやれ、家にいるなら勉強しろ、読書しろ、という人でした。
その後、中学1年の正月明けに、お年玉で中古のパソコンを買いました。最初に欲しいと思ってから、既に4年が経過していたわけです。
ただ、その後も親はあまりパソコン趣味には好感を持ってくれず、ずっと「保護者非公認の趣味」であり続けたのでした。
電子工作もやってみたかったんですけど、周囲にそれが出来る人はおらず、親も全くその知識も経験もない人で、パソコンに興味を持つだけで反対するわけですから、電子工作も言い出すだけ無駄なこと…と思いました。
もし、小学校4年生の時に、親が私のパソコンへの興味を後押ししてくれたら、私は理系の分野に進んでいたと思います。元々数学がとても好きでしたし。今とは全然違う人生を歩んでいたはずです。
読書だけは自由だった
父は読書家だったので、私が本を読むことについては大賛成。父は終戦後にモノがない生活を経験して、活字に飢え続けた人なので、子供が読みたい本があれば何でも読ませてやりたい…という人でした。
だから、パソコンはダメでも、読書ならなんでもいい、という家庭環境でして、テレビの視聴も制限されていたので(ニュースと大河ドラマ以外は見せてもらえなかった)、小中学生の頃の私はコンコンと読書を続けたわけです。
色んな本を読む内に、何をどう間違ったのか、『孫子』とか『論語』などの中国古典に興味を持つようになり、中国の歴史に興味を持ちましたが、それから天安門事件が起こりました。
当時、「なぜ中国ではあんなことになっているのか?」と周囲の大人に聞きまくりましたが、詳しい事情を知る大人はいません。それから、自分でもっと中国のことを深く知りたいと考えて、中国語を学び始め、現在に至ります。
だから、「黒色中国」は父が私のパソコン趣味に反対しなければ、ありえなかった…と思います。父の反対がなければ、このブログも存在しなかったわけです。
私の「愛国」の定義
ツイッターでは毎日色んな人々が「愛国」をめぐる議論をされておりまして、私はツイッターで「愛国者」の皆さんの憎悪の対象になることが多いわけですが、たぶんそれは私の「愛国観」が愛国者の皆さんとズレてるからじゃないかな…と思うわけです。
ある人は、靖国を参拝すれば自分こそ愛国者だと思う。またある人は自民党支持で左翼政党を嫌っているから自分こそ愛国者だと思う。または、中国や韓国の悪口を毎日叫んで、日本国内のザイニチを憎んでいるから自分こそ愛国者だと思う…。
私の場合、日本国や日本人になんらかの貢献をするのが「愛国」なので、自分が今まで得てきた知識や経験(主に中国に関係する)をネットで他の人と共有することで、皆さんの参考になれば…と考えて「黒色中国」を始めたわけです。
ただ、私が知りうる中国の知識や考察というのは極めて範囲の狭いものでして、それだけやってると芸が枯れると申しましょうか。全然違うところから新たなアプローチを始めて、日本のためにもなる、中国とも関わりがある…ということができないのかな…と考え始めました。
そこで私が注目したのは教育分野です。
今の日本で「愛国」といえば、安全保障などの「勇ましい」分野に着目する人が多いわけですが、私は軍事に疎く、今から兵士になるのも無理なので、別の分野で貢献したい。
国を良くするには色んな方法がありますが、私は国=人と考えています。ならば、教育を良くすれば、将来の日本は良くなるはずです。
ただ、私は学校の先生でもないし、文科省の役人でもないし、子供を持つ親でもありません。どうすれば教育に関われるのでしょうか。
▲威海衛北洋海軍水師学堂で英国人教師に学ぶ清国人の子供たちの像。「子供の教育」で手持ちの写真を探して見ましたが、これしかありませんでしたw
日中関係とSTEM教育
日本でも2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化するのですが、これって2016年の安倍総理大臣の提言からスタートしているのですね。
ところが、「教える人がいない」というのが問題になっておりまして、それ以前に2016年の「提言」の時には具体的に何をどう教えるのかも決まってはなかったのです。
私は、これが「チャンス」だと思いました。
今の時代、学校だけが学びの場ではないからです。
そして、「プログラミング教育」は広くみればSTEM教育の一部なわけですが
中国や香港でもSTEM教育への取り組みは始まっており、電子製品のモノづくり系は深センで盛り上がっていて、STEM教育用ロボットの分野で有名なMakeblock社、ドローンで有名なDJI社も深センの企業です。
4階にコンピュータ関連の書籍があり、まずラズパイの本を探したら、「ロボット」のコーナーにあって結構充実。でもそこにわくプロ2はなかったので、次はプログラミング言語のコーナーに行ったらそこにもなく、レジ前の新刊を集めた台にありました。そちらの写真はレジ前だから撮影できませんでした pic.twitter.com/CHJZWGv0jd
— 黒色中国 (@bci_) 2017年5月15日
一方で、プログラミングの分野だと、日本のScratchの教本が中国語訳されていたりします。つまり、STEM教育を日中間で見た場合、ハードは中国で、プログラミングは日本で整備が進んでいる、という見方ができると思います。
私は小中学生の頃に、プログラミング教育&電子工作に挫折しているわけですけど、いま初歩から学び始めて、他に日本と中国のSTEM教育の状況を調べたり、IoTの分野を理解しておけば、どこかで日本の教育に貢献できるのではないか…と考えるようになりました。
そうすることで、14歳の時から、閉じたままにしている、自分の才能や関心をもう一度呼び起こし、忘却していたかつての自分を再生できるのではないか…とも思うのです。
「自分の中の14歳に教育する」方法
基本的な考え方は2つの視点
最近のマイブームで「自分の中の14歳に教育する」というのがあって、人間年取っても自分の中に14歳の少年がいると思うんですよ。好奇心とか今まで使わず眠らせていた才能とか。自分の中の14歳と向き合って、これからの時代のために、「彼」に何を与えて、やらせるべきなのかをずっと考えております。
— 黒色中国 (@bci_) 2017年12月6日
このツイートにはたくさんの反応をいただけました。自分もやってみよう!とか、すでにやってた!とか、色んな意見があつまりました。
私はこの半年ぐらいずっとこの件を考えているのですが
- 【才能・関心】自分が14歳の時にやりたかったけど出来なかったこと。やっていたけどやめたこと。もしかしたら向いていたかも知れないこと…は何か?
- 【将来】今、14歳の子供がいたら、将来のためにどんなことを学ばせるべきか?
基本は、この2つに集約されます。
私は、中2の頃に挫折していたプログラミングと電子工作を今始めることで、将来のために役立つのではないか?と考えたわけですが、人によっては音楽を学びたいとか、本を読みたいとか、サッカーをしたいとか、顕微鏡が欲しかった…など、色んなことを思いつくでしょう。
このブログ記事を読まれている人のほとんどは、いい大人のはずなので、自分の中の14歳に教育を与える時に、大人の財布と行動力でサポートできます。大人の判断力や計画性で無駄な努力を排除して、合理的に学習ができるはずです。
6年後の姿を想定する
14歳の子供は6年たったら20歳になるわけで、その年頃に6年も何かを学び続けて成人したのなら、学んだことを活かせる仕事に就いていると思うのですね。
だから、自分の中の14歳の才能や希望を開花させるための勉強を6年続けて、何らかの仕事に結びつける…という目標を設定するのです。
別に金銭が伴う仕事でなくてもいいでしょう。誰かの役にたてる何かが出来るように目標を設定するのです。営利であれ、非営利であれ、世のため人のために役立てられるようにスキルを高める…という目標設定が重要と思います。
私の場合は、STEM教育というのが自分の仕事とも絡めやすかったので、ちょうど良かった…という事情もあります。
実年齢を忘れて、簡単なところから始める
私はプログラミングと電子工作を学ぶために、IchigoJamというワンボードマイコンを選びましたが、こちらの対象年齢は小学生だったりします。
ラズパイ(上掲記事に説明あり)という選択肢もあり、そちらはユーザーも多く、汎用性が高く、「大人向け」とは思うのですが、私のこの分野に関する知識や経験がほぼないところからスタートするので、無理して背伸びする必要はないと考えました。
自分の中の14歳のために始める教育ですから、実年齢を忘れて、簡単なところから始めればいい。「年甲斐も無く…」と思われるのを恥じずに、子供用の教材を使ってゆっくり学べばいいと思うのです。
「お小遣い」…教育予算を設定する
教育のためには教材や教本などでお金がかかります。お金持ちの人なら特に気にしなくてもいいのでしょうが、私のように経済的に恵まれない人も少なくないでしょう。だからといって教育を諦める必要はないと思うのです。
今はネットでもたくさんの情報が得られますし、図書館で本を借りれば、書籍代も節約できます。
それでも教育のためにはある程度のお金はかかるし、お金をかけることで教育がはかどることもあるでしょうから、教育予算を「お小遣い」として設定し、「自分の中の14歳」に毎月お小遣いをあげている…と考えれば良いのです。
私は、月3千円を目安に考えています。IchigoJamを使ってプログラミングを学んだり、電子工作をするために毎月3千円はかける。年間3万6千円の予算の中で、学習の計画を立てる。
そうやって自分の頭の中に「月3千円」の枠を覚えていたら、新しい教材、教本を買うべきか、買わざるべきかと悩む時に(いい歳になっても数千円で悩むことはありますよねw)、「これはお小遣いの範囲だからいいんじゃない?自分の中の14歳のための投資なんだから」と考えれば、財布の紐も無理なく緩むわけです。
「自分の中の14歳」が成長して、16歳ぐらいになったら、お小遣いの値上げを考えてあげてもよいかも知れませんw
教育の成果をみんなで共有する
現在、私はツイッターでIchigoJamに関するRTをよくやります。#IchigoJam のハッシュタグも使いますし、自分自身がIchigoJamについてつぶやき、ブログ記事も書いています。
そうすることで、ネット上で同じことを学んでいる人達とつながり、わからないことを教えてもらえたりします。
私の場合、ツイッターでIchigoJamのことをつぶやいていたら、IchigoJamの開発者の方からお声掛けいただけました(^^)
自分で学んだ成果、学びの途中で突き当たった壁、学び方のノウハウをSNSやブログで発信し、記録に残しておけば、今の子供たちや、その親が悩んでググったりした時に、私が書いた情報を見つけて、参考にしてくれるでしょう。そうやって情報を共有すれば、「自分の中の14歳」に教育したことは、リアルの、これからの子供たちにも受け継がれるのではないでしょうか。
このようにして、教育現場に直接関係のない人間でも、ネットを通じて関わることが出来るのでは…と私は考えているのです。