▲以前書いたこちらの記事。『南京大虐殺』では、犠牲者の数として繰り返し「30万」という数が強調されるものの、実際のところ中国側の専門家は、「30万の犠牲者を、1つ1つ数えきることは出来ない」と断言し、調査により判明しているのは1万6千ほど。そして、南京大虐殺紀念館にある『嘆きの壁』には、10505名の犠牲者名しか刻まれていない(2014年12月時点)…という内容でした。
この記事に関して、ブログの読者から、10505名の犠牲者のソースと内容について質問があったので、ブログ記事として回答を公開しておきます。
【目次】
南京大虐殺犠牲者名碑とは何か?
まず、南京大虐殺紀念館に設置されている「嘆きの壁」…南京大虐殺犠牲者名碑(南京大屠杀遇难者名单墙)について、確認しておきます。
▲百度百科より。
▲例によって百度百科…こちらを要訳すると
- 南京大虐殺犠牲者名碑は、民間では「嘆きの壁」(哭墙)と呼ばれている。
- 中国科学院院士であり、東南大学建築設計研究院院長の齊康教授が設計したもので、南京大虐殺犠牲者の名前が刻まれている。
- 1995年に設立された際に刻まれていたのは3000名であり、日本軍に虐殺された30万の同胞を象徴していた。
- 2007年に記念館の新館が開放された後に、8600名が追加された。
- 今は26.5メートル拡張し1655名を追加。犠牲者名碑に刻まれた名前は10324名に達した。
この百度百科の内容は、この数年更新されていないようですが、『嘆きの壁』は、2014年にまた犠牲者名が追加され合計10505名となりました。ちなみに『嘆きの壁』の総延長は69メートルだそうです。
『嘆きの壁』の犠牲者名はどのようにして調査されたのか?
▲こちらの記事を要訳しようと思ったのですが、これってかなり長いです。
私がこの手の記事を読む時にはまず要点を押さえますから、その要点を書き出すと…
- 南京大虐殺遭難同胞記念館の館長である朱成山氏(この人、この筋では有名な人です)によると、収集された1万以上の遭難者名は主に、戦後初期(つまり中華民国時代)に行われた南京市抗戦損失調査委員会と南京大虐殺敵人罪行調査委員会の調査、ならびに中華人民共和国成立以来の各時期の生存者の後述証言、各種資料および犠牲者が提供した資料に基づくもの。
- 上掲の記事を読む限り、中華人民共和国になってからの「調査」は1983年に発生した日本の歴史教科書問題をきっかけに、「日本右翼」に対抗する意図を持って行われたみたい(記事中の張生氏の言葉で「不能被日本右翼牵着鼻子走」日本右翼の思うままにはさせられないとある)…つまり、憤慨したのもあるだろうけど、日本右翼に対抗する政治的な意図を持って行われた調査とも思われる。
- 中華人民共和国になってからの「調査」には、『南京大虐殺』の生存者を訪ねて聞き取り調査を行うものがあり、記事ではそれに多くの字数を費やしている。それなりに丁寧な調査が行われたようだけど、学者が個人的に、または大学生のボランティアが行ったもので、この調査の「精度」がどれほどのものか不明。
- その「精度」に対するエクスキューズとしてか、冒頭に南京大学の歴史教授である張生氏の言葉で「但当时中国的户籍制度严重不健全,遇难者全部列入名单是不可能的」(但し当時中国の戸籍制度はとても不完全なもので、遭難者の全てを名簿に入れるのは不可能です)と書いてある。
- かと思えば、その張生氏が次のページでは、「上世纪80年代,南京市政府曾因日本修改历史教科书事件,发动全市力量,找到大量当年的幸存者、遇难者家属进行口述回忆。(前世紀80年代、かつて南京市政府は日本の歴史教科書事件により、全市力量を発動し、当時の生存者を大量に見つけ出し、犠牲者の家族へのインタビューが進められた)“那次调查很细致”,南京市区内能搜索到的幸存者绝大部分都找到了,现在估计只有零星的幸存者没登记到。(「その調査はとても詳細なものでした」南京市区内では、生存者の絶大部分が全て見つけられ、現在記録されていない生存者はほんのわずかです)」…つまり当時の生存者のほぼ全てを探し出して調査したと断言しているけれど、それでも「30万」の30分の1の名前しか出てこなかった。
つまり、これをまとめると、「嘆きの壁」の犠牲者名簿のソースは、
戦後の民国時代(1945~1949)の公式調査+中華人民共和国時代(主に80年代以後と思われ)に行われた生存者証言の調査によるもの
…であり、中華人民共和国になってからの調査は、当時を経験した上で現在も生存している家族を中心に聞き取り調査をした…ということになります。親が殺された、祖父母が殺された、親戚が殺された…という証言を集めているわけです。つまり、一般市民=非戦闘員の犠牲者になります。
投降した中国軍人の犠牲者は?
犠牲者の家族に話を聞いたのなら、当時南京にいた中国軍の将兵の犠牲者は、カウントされていないはずです。戦後に民国政府によって「南京市抗戦損失調査委員会と南京大虐殺敵人罪行調査委員会の調査」が行われたのは先に書きましたが、記事には次のようにも書かれています。
据《望》杂志2009年报道,南京保卫战有9万多国民党军队阵亡将士,大部分是被日军俘虏杀戮的。有南京市方面找到台湾军史馆,民进党执政时,对此置之不理;到国民党上台时,告知这些档案自1949年用麻袋运到台湾,至今还没解封。
雑誌『望』が2009年に報道したところによれば、南京保衛戦では9万以上の国民党軍の将兵が亡くなり、その大部分は日本軍により虐殺された捕虜である。南京市は台湾軍史館を尋ね当てたが、民進党政権の時、この件は無視された。国民党が台湾へ移った際に、これらの資料は1949年から麻袋に入れて台湾へ運ばれ、今もなお解かれていない。
「南京市抗戦損失調査委員会と南京大虐殺敵人罪行調査委員会の調査」に軍人の犠牲者が含まれていたのなら、『嘆きの壁』の名前は9万以上あるはずですから、『嘆きの壁』に掲載されているのは、基本的に「軍人抜き」と見るべきでしょう。
どのような調査だったのか?
これだけで終わってしまうと、あんまりなので、中華人民共和国になってから、どのような調査が行われていたのかを紹介しようと思います。
上掲記事の2ページ目に、費仲興さんの調査について詳しく書かれています。ちょっと長いので、圧縮して要訳すると…
- 南京大虐殺犠牲者名簿の内、湯山地区からは834名が掲載されているが、これらの大半は費仲興が自転車に乗って探し回ったものである。
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費仲興はかつて、南京砲兵学院の数学教師であった。この学校は南京の湯山にあり、これは南京の東大門にあたる。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/feizhongxin%20gaiyou.html
▲【参考】こちらに湯山での虐殺について書かれています。
- 2001年、費仲興は湯山地区で老人から南京大虐殺における日本軍の暴行について聞いた。それまで彼は、大虐殺を城内や長江南岸だけで起こったものだとばかり思っていた。
- 2004年、費仲興は退職し、時間が出来たので、南京師範大学に資金援助を申請し、400元で自転車を購入し、湯山地区の3つの鎮、90以上の村を3年にわたり訪ねた。
- 費仲興の記憶の中で、最も辛かった調査は、龐家(地名)周辺の村を訪ねた時のことである。
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1937年12月9日,15歳の劉素珍は、日本兵が「指揮刀で頭を斬り、梨を剥くように人を殺す」のを見た。殺された13名は黄梅橋からの難民であったが、彼女はそれらの人々の名前を知らない。
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「彼女はとても多くの細かいことを覚えていましたが、当時私が調査した人々の中で、それを見たのは彼女1人だけなのでした…」と費仲興は言う。以後、このことは費仲興の心の悩みとなった。
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「龐家の辺りで虐殺された13人は、黄梅橋のどの村の人なんだろうか?」…3年間、費仲興はそれを悩み続けたが、2007年9月、彼は思いがけず1つの手がかりをみつけ、13人が澗西村の出身であることを突き止める。
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澗西村の生存者より聞き出した話の中に、劉素珍の話を裏付けるものがあった。そこで彼は13名の犠牲者の内、8名の名前がわかった。
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「生存者は虐殺の様子をハッキリと記憶していても、犠牲者の名前を知らないのが普通です。そこで、独立した2つのソースにより裏付け、補充する必要があるのです」と費仲興は語る。
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「名前のわかる犠牲者とわからない犠牲者は大体1対1です。湯山地区の犠牲者総数は1500から2000人の間とされています」
1500から2000人ほどが虐殺された湯山地区の調査で、姓名が判明したのは834名だけ。『嘆きの壁』に刻まれている湯山地区の犠牲者は、その834名だけである。
「白髪三千丈」で知られるように、中国人は数にイイカゲンな印象がある。中国人にとって「数」は事実でなくても嘘ではない。彼等は「数」によって本質を伝えたいのだ。
南京大虐殺の犠牲者総数である「30万」も象徴的な意味あいのものであろう。「たくさん殺された」と伝えたいのだ。それは以前私が書いた記事中の翻訳で、中国の専門家が「30万の犠牲者を、1つ1つ数えきることは出来ない」と断言していることからもわかる。
但し、中華人民共和国になってからの犠牲者の調査は、その精度はともかくとして、費仲興さんの場合は、心をこめて、誠実に行ったのではないか。名前が判明した834名の他に、名前のわからない834名が、それ以上の人がいるかも知れない。しかし、『嘆きの壁』に刻まれているのは、名前が判明した犠牲者だけのようです。
追記:南京大虐殺犠牲者名簿に関する資料
南京大虐殺の犠牲者に関する調査は、私の知る限りで言えば、南京大虐殺史研究所の1.6万説と、『嘆きの壁』に刻まれている1万説の2つがあるようです。なぜこの2つに6千近い差があるのかは理由は不明ですが、先述の通り、『嘆きの壁』の方は大学生ボランティアや個人の研究者が現地調査しており、南京大虐殺史研究所は別の調査方法を取っているのではないかと思います。
これらに関して日本語による資料が存在するのかは不明です。
中国の書店に行くと、
▲このような書籍が販売されています。
私もチラッと見かけたことはあるんですけど、内容については知りません。
『南京大虐殺』については、日中双方で見解が異なり、日本でもよく議論になり、多くの関連書籍が出版されていますが、先程の費仲興さんの調査のように、長年かけて集めた聞き取り調査が日本語訳されると、今までとはまた別の視点で事件の真相を見つめ直すことができるかも知れませんね。