毎年、12月13日の前後になると、南京大虐殺に関する報道があり、南京大虐殺に関する議論があり、あったの、なかったの、数がどうのとクドい話がツイッターを賑わす。
私自身、「黒色中国」と名乗って10年もネットでアレコレ書いているわけだから、南京大虐殺にはいろいろ思うところがあり、それはすでにこのブログでもいくつか書いてきた。
▲それらの過去記事は、こちらをご覧いただくとして、今年の収穫は思いがけずも朝日新聞の記事であった。
「なんだ、朝日か。どうせ中共の片棒担ぎみたいなことしか書いてないんだろ」
…という声が聞こえてきそうだが、まぁ、そんなこといわずにちょっと読んでみて欲しい。なんと、朝日新聞の記者が、南京大虐殺紀念館の館長にインタビューしているのだ。
南京大虐殺プロパガンダ専門の広報部長
まずは「南京大虐殺紀念館の館長」というのが、どういう立場の人なのかを理解する必要があるかも知れない。
簡潔で大雑把な言い方をすると、「中共の南京大虐殺プロパガンダ専門の広報部長」みたいな人である。館長の立場で、いろんな場所に出たり、執筆活動を通して、「南京大虐殺」の宣伝を行う。
▲こちらを見てもわかるように、中共の南京市委員会の宣伝部の人である。
▲こちらを見ても分かるが、某界隈風に言えば、彼は「歴史戦のプロ」だ。
そういう人に、あの朝日新聞の記者がインタビューしたのだから、読んで面白くないわけがない。
…と思って、読み進めてみると、これがなかなか巧妙かつ、的を得た、今の「南京大虐殺プロパガンダ」を理解する上で有用な記事だったのである。
変わりつつある「南京大虐殺」の使われ方
南京事件の真相がなんであるかはさておき、今の中国にとって、「南京大虐殺」は対日外交の「ツール」の1つである。だから、中共の対日姿勢が変われば、「南京大虐殺」の取扱も変わってくる。それが「南京大虐殺紀念館」に反映されるわけだが、逆に「南京大虐殺紀念館」の展示や、紀念館の活動、館長の発言などを観察することで、中共の対日姿勢が現在どうなっているのかを推測することもできるわけだ。
朝日の記事は、まず冒頭でこの数年の「取扱の変化」について触れ、次に常設展示の変化を観察し、そこから張建軍館長のインタビューが始まる。
リニューアルの意図、被害者数の問題…ときて、「歴史を忘れないことは、日本人を憎むということではない」という館長の主張を伝えている。これが事実かはさておき、2005年・2012年の反日デモ以後、中国で広く浸透している歴史見解でもある。
おっちょこちょいの右の人だと、「やっぱり中国の言い分を伝えているだけじゃないか!」と怒るのだろうが、私が読んでいる限り、非常にわかりやすく近年の「変化」を整理して、「アチラの言い分」をうまく伝えていると思った。
日本に「アチラの言い分」が直接入って来にくい今の日本において、アチラ側の張本人の言葉を引っ張ってきたわけだから、これは価値がある記事ではないか。こういう情報があってこそ、実のある批判もできよう…というものだ。
敢えて「意見」を付け加えるものの…
次に面白いのは、この「冨名腰隆」という記者である。
単に、インタビューだけ掲載して終わっても良かったのだろうけど、一応自分の見解も末筆に添えている。そんなの書いても、某界隈から目をつけられて、反日記者として袋叩きにされるだけなのだから、よせばいいのに彼は敢えて書く。ちょっと古風な物書きの根性を感じた。
ただ、それは秦郁彦の著書からの引用によって語られる。本人の言葉としては書かない。たぶん、これは炎上対策で、「記者個人や朝日新聞の会社としての見解ではなく、秦郁彦さんがそう申しております」という「逃げ」を確保したのだろう…と思われる。
こんな蛇足でお茶を濁す必要もなかったのだろうけど、単に「見てきました。話を聞いてきました」というガキの使いみたいな記事にせず、「引用」でもとりあえず記者の主張をしてみせるのが、朝日の社風なのか。
ここまで読んで、文句を言いたくてたまらない人もいるだろうけど、敵陣に堂々乗り込んで、重要人物の話をしっかり聞いてくるメディアが、現在は朝日ぐらいしかないという惨状が、他ならぬ日本の不幸なのであろう。
増補 南京事件論争史: 日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社ライブラリー)
- 作者: 笠原十九司
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2018/12/12
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
- 今日の発見 この記事は非常に多くの人に見られて大変反響が大きかったけど、今でも「南京大虐殺」は日中間で現在進行系のホットな話題なのだと実感した。