【重要】『中国支配の島から12カイリ航行=西沙に作戦拡大-米艦』■南シナ海・西沙諸島の中建島から12カイリ内を、米海軍の駆逐艦「カーティス・ウィルバー」が航行■行き過ぎた海洋権益の主張に異議を唱える「航行の自由作戦」の一環 https://t.co/CHVp5PVXTS
— 黒色中国 (@bci_) 2016, 1月 30
西沙諸島は1974年の西沙諸島の戦いで中国軍が占領し、40年以上実効支配を続けている地域。ここに「航行の自由作戦」の範囲を拡大するのは、非常に大きな意味合いが込められていると思います。
関連情報をまとめてみようと思います。
中建島(トリトン島)とは?
▲グーグルマップではこの位置になります。
▲西沙諸島の最も南西側(Triton Island…中建島の英名)にあたります。
▲ウィキペディアの内容は乏しいので百度百科から島の概要を引っ張ってみます。
島名に関する考察…「土莱塘」→「中建」の理由
中建島の命名の由来は、1946年に中国政府(当時は中華民国)が軍艦「中建号」を派遣して西沙諸島を接収したことにちなむそうです。
1935年に中華民国が島名を公布した際は「土莱塘島」としたそうで、どうしてわざわざ改名なんかするんだろう?と思ったんですが、この「土莱塘」って発音すると「tulaitang」(トゥーライタン)ですから、たぶん英語名の「Triton」(トリトン)の音訳なんでしょうね。私は英語苦手なので正しくは不明ですけど、日本語のカタカナ表記では「トリトン」と書くけれど、実際の発音は「トライタン」に近く、「土莱塘」はそれを忠実に音訳したものと思われます。たぶん西洋のどこかの国が発見して命名したのではないでしょうか。このままではあまり中国固有の領土っぽくないし、以前の持ち主か発見者の印象が残るので、中建島に改名したのでしょう。
面積
面積は潮位の低い時で1.2平方キロメートル。潮位が高くなると約100分の1の0.014平方キロメートル。これはサッカー場2つ分ぐらいの広さだそうです。
▲このように大部分は砂浜のまま。一部の植林されているところだけが満潮の時でも水没しないようですが、台風なんかが来ると全部水没するそうです。かろうじて「島」というところですね。
島の歴史
- 1935年:中華民国政府が「土莱塘島」の島名を公布。
-
1946年:中華民国政府が軍艦を派遣して接収,「中建島」に改称。
-
1947年:中華民国政府が「中建島」の名称を公布。
-
1974年:西沙諸島の戦いが始まり、中国が西沙諸島をベトナムより「奪回」。
-
1975年:中国陸軍部隊が中建島に進駐。部隊は廃船となった古い商船の中に3年間居住。
-
1978年1月:中建島守備隊が正式に成立。
-
1978年9月:守備隊の建物が完成したため、部隊は商船より引っ越し。
-
1982年8月11日:中共中央軍事委員会が中建島守備隊に「愛国愛島天涯哨兵」の栄誉を授与。
-
1983年:中華人民共和国政府が「中建島」の名称を公布。
写真
▲進駐当初(たぶん1975年と思われ)の写真。島には草一本生えておらず、テントを立てて寝泊まりしていたそうです。
▲こちらが1978年に完成した守備隊の建物のようです。
▲たぶんこれは守備隊の建物からの景色と思われ。島の一部を浚渫して船の通り道を作っているのが見えます。防波堤などもちゃんと作っていますね。
▲港湾施設と守備隊の建物
▲赤い矢印で示されているのは守備隊の建物。ヘリポートも見えますね。もうこの写真に写っている部分だけがかろうじて満潮時でも水没しない地域のようです。
▲少しづつ植林をして陸地を保護しているようです。
現在、人民解放軍と武装警察が駐屯しているそうです。数などは不明です。
よくわかる南シナ海 米中がもくろむ「次の一手」 Wedgeセレクション
- 作者: 小谷哲男,小原凡司,香田洋二,ジェームズ・クラスカ,富坂聰
- 出版社/メーカー: 株式会社ウェッジ
- 発売日: 2016/01/22
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る