この数日、幾つかのニュースサイトで中国とノーベル賞に関する記事を見かけた。
■ノーベル賞受賞で絶賛の嵐…地元出身のカオ氏に香港紙(サーチナ)
■中国からはなぜノーベル賞受賞者が誕生しないのか?(レコードチャイナ)
中国とノーベル賞…これは中国人にとっては突かれると一番つらいウィークポイントなのであった。そして中国からノーベル賞受賞者が出てこないのは、中国を観察する上で非常に興味深い問題でもある。今回はこのことを取り上げてみようと思う。
■アジア人のノーベル賞受賞者一覧(自然科学系3部門)(長岡技術科学大学)
↑こちらによれば李政道、楊振寧、丁肇中、Daniel C. Tsuiという名前が見えるが、彼らは4名共に受賞時は米国籍であったようだ。
それとノーベル文学賞受賞者の高行健氏がいる。
■高行健(ウィキペディア)
1989年に天安門事件が起きると、『逃亡』(1990年)を発表して政治亡命を果たし、1997年フランス国籍を取得した。2000年10月12日に中国語作家としては初のノーベル文学賞を受賞し世界的な話題となった。中国では亡命作家・高行健の作品は一時発禁となったが、人民日報はノーベル受賞のニュースと略歴を報道した。近年は、中国国内でも高行健の作品を収めた戯曲選集が刊行されている。
高行健氏は生まれも育ちも中国である。1940年生まれということなので、基本的には中華人民共和国の教育を受けて育った人でもある。
中国共産党からすれば、彼らの教育によって学んだ「中国人」のノーベル賞受賞者が出ることを何よりも望んでいるのであろうけれど、何故かそういう人物はなかなか出てこない。理系分野はやはり所属する研究機関の良し悪しやら資金・資材の問題もあるだろうから、欧米の方が有利なのかも知れないと思うものの、文学賞については特に先進的な研究機関や豊富な資金や資材が必要だということはない。「文」の国であることを自認する中国であるから、理系分野はともかくとしてノーベル文学賞の1つや2つ取っていてもおかしくないようであるが、中華人民共和国60年の歴史の中で1人の受賞者もだしておらず、惜しい事に高行健氏は政治亡命の後にノーベル文学賞を受賞している。
こういうのはまるでノーベル賞選考機関が中国共産党への「あてつけ」でやっているように見えなくも無い…たぶん多くの中国人はそのように考えるのではないだろうか。
当方はこの高行健氏のエピソードを知った時に、その事情をかつての経験から理解した。
中国式教育と思想矯正
恥ずかしながら当方は中国で教育を受けた事があり、それによって中国語を習得したのであった。真面目に勉強していなかったのは、このブログの記事を幾つかご覧になればすぐにお分かりいただけるかと思うが、少し弁解をさせていただくと、あまり真面目に勉強したくなるような環境ではなかったのである。
中国の学校というと「厳しい」というイメージがあるかと思われる。それは間違ってはいない。それなりに厳しい。ただそれがどのように厳しいのか?というのが問題なのだ。
例えば中国の学校で中国語を学ぶ、厳しく中国語の指導を受ける…というのは単語を山ほど暗記させられるとか、文法を覚えさせられるということを想像されるかもしれない。そういうこともあることはあるのだが、もう一つ指導される分野があって、授業で取り上げる文学作品の内容について、これは作家がどのようなことを意図して書いたものなのか、というのを回答せなばならないことがあった。当方が感じるところでは、授業では「ここ」が最も重要視されるところであり、教師達が絶対に譲らないところであった。
覚えている単語が少ないとか、簡体字を書き間違えたとか、文法が怪しい…というのはあんまり厳しく指導されないのである。大筋においてあっていればよろしい…というのがほとんどであった。でも、こちらの作文の内容であるとか、文学作品の解釈については100%教師の考えるところ…つまりそれは中国共産党が考えるところであろう…の指導内容に沿わなければならなかった。
例をあげると魯迅の「孔乙已」という作品について当方は、
「この作品は清代から民国への時代の転換期を背景に、社会変化に翻弄され零落する人物をとりあげて、そこに人間の悲哀を描き出すのが主題であるが、同時にその当時の中国民衆の生活や風俗・文化なども記録しており、優れた文学作品であると思う。」
…というような内容の回答をした。実際の文章はもっと長いのだが、要約するとこういう内容である。
しかしこの回答は0点であった。単に0点であるのならばいいのだが、訂正を求められるのであった。
「孔乙已は革命以前の封建制社会における歪んだ社会制度(科挙のこと)において作られた哀れな人間であり、魯迅は本作を通して清代封建制度の社会矛盾を指摘しているのである。」
もう随分前のことになるので、正確な内容は覚えていないが、教師の「模範解答」はこのような内容であった。
「それは社会主義の文学論ではないのか?それはあなた達の政府の解釈であって、私の解釈ではない。日本人の見方でもない。」と当方が教師に伝えると、
「この文学作品はそういう作品なのである。『あなたの解釈』であるとか、『日本人の見方』は不要である。魯迅はこの作品を通じて社会の矛盾を指摘しているのである」と言いかえしてきた。
「では、この作品の中で描写されている酒場の様子であるとか、料理についての説明は一体なんであるのか?これは当時の文化風俗を記録しているもので、社会の矛盾とは関係がない。魯迅は社会矛盾についても含みたいと思っていたのだろうが、それだけにとどまらず、当時の社会・文化・風俗も含めて、孔乙已という主人公から『人間』を描いてみたかったのではないか?文学は人間について追求するものであって、『社会矛盾』を指摘するのは社会科学の範囲である。それは小説ではなくて、論文でやることではないか」とさらに言い返すと(当方はしつこいのである)
「酒場や料理は重要なことではない。これは封建制度の社会矛盾を指摘している作品だ。あなたがそのように書き直さないのならば点数はやれない。」
…といって、腕を組んで、ふんぞりかえって(本当にふんぞり返ったのである)、『フフン』と鼻で笑って当方を見下ろしたのである(その時当方は椅子に座っており、教師はそばに立っていた。あれから十数年経っているのだが、どうでもいいようなことに限って不思議にしっかり覚えているものだ)。
この教師は普段こういう人物ではない。20代半ばくらいの女性で、まだ教師になって数年で、この手の公務員系中国人が身につける「すれた」感じがまだなかったので付き合いやすい人であった。当方も日本のお菓子などを彼女にプレゼントしたりして、仲良くやっていたのだが、それが文学作品の解釈一つでここまで豹変し、固執するのには驚いた。
その後この議論はかなり長い時間続いたのだが、あらためて教師の意見をまとめると、
「文学作品の解釈とは、個人がどう思ったとか、日本人はこう感じる、というのはどうでも良いことであって、社会主義的な視点こそが重要なのである。しかもそれが魯迅の作品であるとなれば尚更のことであり、あなたはそれがわかっていないのだから、指導を素直に受け入れて、このように考えを改めるべきなのだ。」
…という一点張りであって、全く譲らない状況であった。そこで当方は、
「私は中国に社会主義を学びに来ているのではなく、中国語を学びに来ているのです。文学の解釈や感想などは、個人によってそれぞれ考えが違うのであって、それが文学を生むのではないでしょうか?党の解釈が唯一の正解だというのならば、それをいちいち学生に書かせるようなことはしないで、党の模範解答を配布して丸暗記させればよいでしょう。」
…と答え、点数はいりませんと言って宿舎に帰ったのであった。
この経験を通じて理解できたのは、中国にとって文学教育というのは、思想を一つの型にはめるプロセスに過ぎないのだ…ということだった。読ませて、考えさせる。でも考える方向は既に一つに決められている。模範解答以外は正解にならない。点数をもらうために「正解」を覚えなけらばならない。そういう思想矯正の手段なのである。
もしこういう教育の中からノーベル文学賞受賞者が出てくるのだとすれば、まずは「模範解答」を作り出す中国共産党がノーベル賞を受賞していなければならないと思われる。高行健氏は「模範解答」の世界から飛び出したからこそ、ノーベル文学賞を受賞できたのであって、たぶんノーベル賞選考機関の共産中国に対する「あてつけ」ではなかったのだろう(ちょっとくらいはあったかも知れないけど)。
蛇足すると、当方は上記の教師との議論以後、真面目に授業を受ける気もなくなり、いつも早めに切り上げ街に出て、ゲリラ的に色んな人に話しかけて「自習」するようにした。この方がずっと実戦的で勉強になったし、現代中国の「社会の矛盾」もよく理解できた。たぶんあのようにして街に出て自習することがなければ、このようなブログを始めることもなかったのだろう。そのようにして元を辿って考えれば、「黒色中国」は中国の教育が生み出した…と言えるのかも知れません(笑)