黒色中国BLOG

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望月衣塑子記者が、自衛隊員の宮古神社参拝を糾弾する背景にある地元の諸事情

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この数日、表題の件がツイッターで盛り上がっているのだが、おかしなことに気がついた。

望月衣塑子記者が、「軍拡が進む中で、シビリアンコントロールが…」とまでいうので、私はすっかり宮古神社が、護国神社なのかと思ったのだが、ちょっとググってみると、靖国神社などのいわゆる「国家神道」とは全然何の関係もない、16世紀に由来を持つ地元の神社に過ぎなかったのであった。

それが、なぜ望月記者の手にかかると、「軍拡が進む中で、シビリアンコントロールが…」とまで飛躍してしまうのか。

そういうツイートを書いたところ、意外なリプライをいただき、宮古神社の「諸事情」を教えていただきましたので、こちらに記録しておきます。

参考まで、宮古神社の由来を紹介しておくと、

1590年(天正18年)、平良大首里大屋子が首里城へ貢納品を納めた帰路に海難に遭って漂流し朝鮮へ漂着した。朝鮮では異国の賊と見做されて斬られそうになったが、故国の神に祈り、地面に「琉球」と書いたところ、漸く琉球からの漂着民であることが認められて5年間手厚く保護され、更に北京に送られて3年後に、琉球からの進貢船に乗って8年後に無事帰島することができた。このことを神のおかげとして、沖縄本島の波上宮より熊野三神を勧請し、宮古権現堂を建立した。

…とある。地元の人が海難に遭ったが、8年後に無事帰島できたので、それを神に感謝して宮古神社を建立した。ところが熊野三神は宮古島土着の神ではなく、ヨソから持ってきた神である。私は宮古島に行ったこともないし、地元の人の話を直接聞いたわけでもないけど、リプライで説明いただいた湯屋さんの説明によれば、「余所者が余所者の神社に集団参拝する、というのが生粋沖縄県民には抵抗あるのですよ」とのことで、宮古島の人にとって、「熊野三神」は今もなお「ヨソモノの神」なのか。

望月記者がどこまで、この手の諸事情を理解してやっているのかは不明ですが(ツイッターで見たところ、上掲のツイート以上の説明は見当たらなかった)、本件の背後には、よくある「靖国叩き」「自衛隊叩き」とは別の、地元の信仰や「ヨソモノ」への距離感があったわけです。

他ならぬ「ヨソモノ」の私には、全く思いもよらぬことでした。ご説明いただいた湯屋さん、誠にありがとうございました🙇

▲さっそくこちらの本を読み始めたところですが、沖縄県に「神社」は15社しかないそうで、宮古神社はその中の1つ…ということになります。Kindle Unlimitedに入っていれば無料で読めます。