黒色中国BLOG

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「石平チャンネル」の初回生放送、そして10数年前の講演会について

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昨晩、石平さんが新しく始めたネット番組「石平チャンネル」の初回放送があり、それを拝見した。

YOUTUBEで前半の一部は見られる。

昨晩の放送の感想を、こちらに残しておきたい。

昨晩の放送…石平さんの半生

初回放送の内容は、石平さんが四川省に生まれ育って北京大学へ進学する経緯、そこで民主化運動に傾倒し、四川に戻ってから地元の共産党委員会に睨まれ、日本にいる友人の誘いで、石平さんも日本へ留学し、そこで天安門事件が発生し、中国との決別を決意する…という彼の半生に関する独白であった。

薄暗い書斎で、石平さんだけに照明があたっていた。暗闇に彼だけが浮かび上がるような映像で、幼少期を語る時は楽しそうに、文革の思い出を語る時は怒りを持って、大学の頃を語る時は学友たちとの青春を思い出すかのようにハツラツとして、日本での生活を語る時は、当時の驚きと感動をあらわにしながら語られていたが、最後の天安門事件の段に至っては、何度か声が詰まり、涙をこらえているようだった。彼はいつもこの話をする時に泣き出しそうになる。

10数年前の講演会にて

10数年ほど前のことと記憶しているのだが、日本の某所で保守言論人を集めた講演会があり、そこに石平さんが参加していた。私はそのしばらく前に、石平さんのことをネットの記事で何度か拝読して知っていたので、どんな人か気になって、講演会を見に行ったのであった。

会場に着くと、若い客がほとんどで、ちょっとヤンチャな感じの人が多かった。いわゆる「ネトウヨ」っぽい人たちなのか。保守の講演会といえばおじいちゃんが多いものだが、この時はそうではなかった。活気があり、騒々しくもあり、「講演会」というより「トークイベント」であろうか。

小さな会場だったので楽屋もなく、講演が始まる前に客が有名な保守言論人を取り囲んで歓談していた。石平さんは講演開始の前、私のすぐそばに座っていた。当時はまだ、石平さんが頻繁に地上波テレビに出られる前だったので、あまり一般には知られていなかった。石平さんに話しかける客は皆無だった。

私は、中国と決別し中国共産党と戦う元中国人が一体どんな人物なのか気になっていたので、この講演会に来たのだが、その最初から私の近くに石平さんが座っているので大変緊張した。話しかけようかと思ったが、彼は余命数ヶ月を言い渡された重病患者のように深刻な表情で、手を組んでうつむき、時折小声で何かをつぶやている…そして、何かを決意したかのように顔をあげ、天井の一点をじっと見つめ始めた。一体何を見ているのだろう?と思い、私も一緒に天井を見ている内に、時間が来た。

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講演会が始まり、壇上に保守言論人が並んで座り、それぞれ時事問題についてコメントしつつ、ところどころ1人の長いトークが入る…という形式だったと記憶している。小さな会場なので壇上と客席の距離が近い。ところどころ、客席からツッコミが入ったり、壇上から客席に話しかけたりして、にぎやかな講演会だった。

そこで、石平さんの番がきて、話し始めた内容は、昨晩の生放送で話したのとほぼ同じ内容…日本へ留学に来てから天安門事件の前後を詳しく述べたものだった。

それまで騒がしかった会場が、水を打ったように静まり返った。ヤンチャそうな若者たちが、真剣になって聞き入っているのがわかった。

石平さんは天安門事件の後、日本で中国の情況を多くの人に知ってもらおうと街頭で活動し、ビラを配ったりしていたのだが、当時あまり多くの人に関心を持ってもらえなかった。それでも、今ここに多くの若者が集まって…天安門広場で殺されたのと同じぐらいの歳の、日本の若者たちが集まって…私の話を真剣に聞いてもらえたことに心より感謝します…と昨晩同様、今にも泣き出しそうな声で語っていた。たぶん彼は、講演が始まる前に、天安門事件の頃を思い出しつつ、天を仰いで中共の弾圧で亡くなられた人々に祈っていたのではないか。

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昨晩の生放送も、10数年前の講演会も変わりない。この人の「原点」は不変で、これを伝えるために活動を続けているのだな…と改めて思ったのでした。