ツイッターでは、戦争のこと、戦争経験、戦前礼賛、反戦運動などがよく話題にあがりますが、その度に私は中学生の頃に出会った、戦争帰りの図工(図画工作)の先生のことを思い出します。大きな体で、声が大きくて、白髪の老人でした。今から考えると、一旦は定年退職して、再雇用だったのかも知れません。
毎週2時間ある図工の授業の内、毎回最初の1時間は戦争の思い出を語るだけで、後半の1時間から図工の授業が始まりました。一見、怖い感じの先生でしたが、戦争の話がとても面白くて、普段はやんちゃな不良も、私語が好きな女子たちも、みんな騒がず、背筋を伸ばして、真剣に先生の話を聞いておりました。
先生は、私が中1の時が最後のお勤めで、中2になった時には教職を辞められておりました。
その後、従軍経験のある教師を中学校で見たことはなく、高校にあがっても皆無だったので、たぶん私の世代が、従軍経験のある教師と接触する最後の世代だったのではないでしょうか。
今の若い人には、そうした経験がなかなか得られない…今後はさらにその機会は少なくなっていくことでしょうから、以前、私がツイッターで連投した「先生の思い出」を、注釈も含めて、こちらに収録しておきます。
戦争帰りの図画工作の先生の思い出
小学校1~2年の頃、隣のクラスの担任がいつも「精神注入棒」を持っていて、子供を喜々として殴り倒していたけど、たぶんあの人は若かったので戦争経験者じゃない。しかし、中1の時の図工の先生が定年1年前のお爺ちゃんで、元日本軍兵士だった。授業の大半は戦争の話だったけど、それがとても面白かった
— 黒色中国😷 (@bci_) February 7, 2018
※「精神注入棒」とは
海軍精神注入棒というのを知っておるかな。画像の棒がそうなのじゃ。実物資料は迫力があるのぅ。特別展「陸にあがった海軍」で展示しておるぞ。#海軍http://t.co/euXnPyGVi5 pic.twitter.com/bq0wmqqRnR
— 神奈川県立歴史博物館 (@kanagawa_museum) 2015年2月18日
▲こういうものでして、ルーツは英国海軍で体罰に使われていたクリケットのバットとか。
私が子供の頃の日本では、棒とか竹刀を持つ教師が普通にいて、体罰は日常茶飯事だったのですが、中には戦前の海軍に倣って、「精神注入棒」を持つ教師もおりました。聖徳太子が持っている棒みたいなもの(あれは「笏 しゃく」と言うらしい)をどこからか見つけてきて、自分で「精神注入棒」と墨書する。いつも持ち歩いて、問題のある子供をぶん殴る。たまに、間違って何も悪いことをしてない子供もぶん殴る。今だとすぐ新聞沙汰になりそうですが、少し前まで日本はそういうのが普通なのでした。
図工の先生の戦争の話は武勇伝ではなく、ただ延々と…たくさん歩いた…お腹が減った…毎日辛かった…という内容。反戦を訴えるわけでもなく、長い長い話を通じて「戦争は大変だった」と伝える。あの話を聞いて、戦争を良いものと思う子供は1人もいなかっただろう。経験者だからこそ出来る伝え方だった
— 黒色中国😷 (@bci_) February 7, 2018
ほぼ毎回出てくる話で、戦後日本に戻ってプールで泳いだら、端から端まで泳ぎきった時に何故か隣のレーンに着いてしまう…というエピソードがあった。広い大陸を何年間も38式小銃を肩に歩いたから、身体が曲がってしまったらしい。これは戦争で受けた生涯癒せない「傷」を意味しているのだろう。
— 黒色中国😷 (@bci_) February 7, 2018
※三八式小銃ですが
一体どれぐらいの重さがあったのか、ウィキペディアで確認してみたら、3,730gだそうで、銃剣を着けると 4,100gだそうです。大体4kgのものをずっと肩にかけて数年間、毎日歩き続けた。このエピソードは先生が毎回お話するのですが、確かに先生が廊下を歩いている時に後ろから見ると、真っ直ぐ歩けず、よろめいておられました。
授業で工具を使うので、怪我をしないように…という注意として戦争の時の話をするのだが、戦争のような命がけの一大事でも、授業で工具を使うのも、ちょっとした油断がミスの元なんですよ…と、大陸で何年間も従軍して生き残った元兵士が教えてくれるのである。今から考えるとなんと贅沢な授業だろうか
— 黒色中国😷 (@bci_) February 7, 2018
その後、何人かのサヨク教師から「反戦教育」を受けたけど、彼らは戦争経験者でもなかったし、彼らの話から、図工の老教師ほどの感銘を受けたことはなかった。嘘くさい、紛い物の薄っぺらい話にしか思えなかった。反戦思想に洗脳されるよりも、むしろ反発する気持ちを引き起こす逆効果が強かった。
— 黒色中国😷 (@bci_) February 7, 2018
この図工の老教師は、体罰というものを一切しなかった。無論「精神注入棒」も持たなかった。大陸で何年も従軍したからには色々あったのだろうけど、武勇伝は一切語らなかった。戦争を賛美しなかったし、ウヨクでも軍国主義でもなかった。それでいて、子供たちからは慕われて、みんな素直に従っていた。
— 黒色中国😷 (@bci_) February 7, 2018
ここでは度々、体罰や反戦教育が話題になるけれど、私が子供の頃には戦争経験を持つ教師が普通にいて、薄っぺらなイデオロギーや暴力による恫喝に頼らず、濃密な経験に基づいた教育をやってくれていたのだ。こうした「教育」は一代限りで、後世に継承できないのが残念だなぁ…と、最近はつくづく思う。
— 黒色中国😷 (@bci_) February 7, 2018
皆様から戴いたご意見・感想
この連投は、3年前に投稿した際に、たくさんの反響をいただきました。
最初と最後のツイートに寄せられた引用RTのリンクだけ貼っておきます。
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21世紀になって20年が過ぎ、学校の先生だけに限らず、日本から戦争経験者、戦前生まれの人が少なくなってきている中で、「戦争」とか「有事」というものが、日本の中で非日常的で、別世界のこと…極めて観念的なものになって、それぞれの政治的立場で、過去を都合よく切り取ったり、歪めたりして、戦争の礼賛や批判に利用している…と思うことが多々あります。
その度に、私が中学生の頃に、特定の政治的立場に偏らない、従軍経験者のナマの声を、授業で毎週1時間、1年通じて聞けたのは、非常に貴重な体験だったと思うのです。
今の日本において、戦争について考える皆さんのご参考になれば幸いです。
- 作者:吉田 裕
- 発売日: 2017/12/20
- メディア: 新書