黒色中国BLOG

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戦争帰りの老教師の思い出

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ツイッターでは、戦争のこと、戦争経験、戦前礼賛、反戦運動などがよく話題にあがりますが、その度に私は中学生の頃に出会った、戦争帰りの図工(図画工作)の先生のことを思い出します。大きな体で、声が大きくて、白髪の老人でした。今から考えると、一旦は定年退職して、再雇用だったのかも知れません。

毎週2時間ある図工の授業の内、毎回最初の1時間は戦争の思い出を語るだけで、後半の1時間から図工の授業が始まりました。一見、怖い感じの先生でしたが、戦争の話がとても面白くて、普段はやんちゃな不良も、私語が好きな女子たちも、みんな騒がず、背筋を伸ばして、真剣に先生の話を聞いておりました。

先生は、私が中1の時が最後のお勤めで、中2になった時には教職を辞められておりました。

その後、従軍経験のある教師を中学校で見たことはなく、高校にあがっても皆無だったので、たぶん私の世代が、従軍経験のある教師と接触する最後の世代だったのではないでしょうか。

今の若い人には、そうした経験がなかなか得られない…今後はさらにその機会は少なくなっていくことでしょうから、以前、私がツイッターで連投した「先生の思い出」を、注釈も含めて、こちらに収録しておきます。

戦争帰りの図画工作の先生の思い出

※「精神注入棒」とは

▲こういうものでして、ルーツは英国海軍で体罰に使われていたクリケットのバットとか。

私が子供の頃の日本では、棒とか竹刀を持つ教師が普通にいて、体罰は日常茶飯事だったのですが、中には戦前の海軍に倣って、「精神注入棒」を持つ教師もおりました。聖徳太子が持っている棒みたいなもの(あれは「笏 しゃく」と言うらしい)をどこからか見つけてきて、自分で「精神注入棒」と墨書する。いつも持ち歩いて、問題のある子供をぶん殴る。たまに、間違って何も悪いことをしてない子供もぶん殴る。今だとすぐ新聞沙汰になりそうですが、少し前まで日本はそういうのが普通なのでした。

※三八式小銃ですが

一体どれぐらいの重さがあったのか、ウィキペディアで確認してみたら、3,730gだそうで、銃剣を着けると 4,100gだそうです。大体4kgのものをずっと肩にかけて数年間、毎日歩き続けた。このエピソードは先生が毎回お話するのですが、確かに先生が廊下を歩いている時に後ろから見ると、真っ直ぐ歩けず、よろめいておられました。

皆様から戴いたご意見・感想

この連投は、3年前に投稿した際に、たくさんの反響をいただきました。

それらの全てはとりあげませんが、 

最初と最後のツイートに寄せられた引用RTのリンクだけ貼っておきます。

* * * * *

21世紀になって20年が過ぎ、学校の先生だけに限らず、日本から戦争経験者、戦前生まれの人が少なくなってきている中で、「戦争」とか「有事」というものが、日本の中で非日常的で、別世界のこと…極めて観念的なものになって、それぞれの政治的立場で、過去を都合よく切り取ったり、歪めたりして、戦争の礼賛や批判に利用している…と思うことが多々あります。

その度に、私が中学生の頃に、特定の政治的立場に偏らない、従軍経験者のナマの声を、授業で毎週1時間、1年通じて聞けたのは、非常に貴重な体験だったと思うのです。

今の日本において、戦争について考える皆さんのご参考になれば幸いです。

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