日清戦争120周年ということで、このところ、ずっと日清戦争について調べている。
その中で、「威海衛」という地名が出てくる。
▲山東省の最東端にあり、清国北洋艦隊の母港となっていた場所なのだが、現在は「威海市」になっている。つまり、現在は「衛」がついていないのだ。「衛」とは一体何のだろうか?
▲百度百科を見ると、明代の軍隊編成には、「衛」(「卫」は衛の簡体字)と「所」の2種類があり、「衛」は5600名からなるらしい。
ウィキペディアによると、
唐代以来、登州東部の文登県、栄成県の領域であった。明代の1398年倭寇防衛のため、山東半島に成山衛、靖海衛とともに威海衛が設置されたのが始まりである
…とあるので、「なんとか衛」は他にもあるみたいだ。
除了天津卫和威海卫之外,还有哪些城市的名字后面有“卫”?_百度知道
▲こちらによれば、「卫叫做地名多在中国的海防地带,天津叫天津卫,威海叫威海卫,青岛即墨有岙山卫,都是海防边塞。」つまり、「衛」がつく地名は中国の海防地帯に多く、天津は天津衛、青島の即墨には嶴山衛があったそそうで、これみな「海防辺塞」(「辺塞」は辺境を守る「とりで」のこと)であると説明されている。
▲こちらを見ると、かつて天津には、「天津衛、天津左衛、天津右衛」があったと言う。
▲「鉄嶺衛」というのもあったそうだ。
▲こちらの解説を読むと、「这两个地方原来都不是城市,是先有的驻军,后来才发展成城镇」つまり、本来街ではなく、先に駐軍があって、その後で街として発展した…とある。国家防衛のために、衛が置かれると、突如5600人が住むようになるわけだから、それに付随して産業が生まれて、街ができてくるのだと思う。
ちなみに、威海衛は中華民国になってからも「威海衛」のままで、1945年になってから「威海衛市」が成立(市政がスタートしたのであろう)、中華人民共和国成立の翌年、1950年に「威海市」に改称された。
▲「衛」が地名から抜けるのは、さかのぼると清代にもあって、「1664年に清朝により衛が廃止され鉄嶺県が設置され、盛京省奉天府に区画される」とある。
このように、明代の辺境防衛のために「衛」を置かれて発展してきた街は他にもあるようなので、「衛」巡りをテーマに中国各地を旅行するのも面白いかも知れない。

中国はいかに国境を書き換えてきたか 地図が語る領土拡張の真実
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