昨日のニュースで、当方が最も気になったのはこちらである。
【学連、天安門事件追悼集会への参加取りやめ】学連副秘書長は、支連会が綱領に掲げる「民主的な中国を建設する」は香港人の責任ではないため賛同しない学生会があることを理由に挙げ、今後は支連会の活動にいっさい参加しないことを先週決定したと説明 http://t.co/cRkCCozOtP
— 黒色中国 (@bci_) 2015, 4月 28
「学連」とは去年の雨傘革命に参加していた主要な学生組織の1つである。
先に注釈しておくと、前掲のニュースは…
集会参加に同意しなかったバプテスト大学は投票で学連からの脱退を決定しており、正式に脱退した場合は学連が立場を変える可能性もある。
…と続く。
実際には、バプテスト大学だけが、このような考えを持っているのではなく、少なくない香港人が「民主的な中国を建設するのは香港人の責任ではない」と考えているのではないか。
日本では、去年の香港の雨傘革命が、中国の民主化を推進するものとしての期待の声があった。でも、私が実際に雨傘革命の現場を訪れて、隅々見て回っても、中国の民主化を要求するような貼りビラは数枚しか見つからなかった。そういう要求は皆無ではないものの、「主流」ではない。「非主流」でもない。「稀に見る少数意見」と思われた。
今回の不参加表明は、そうした「香港の民主」が意味するところを明示したものではないだろうか。