黒色中国BLOG

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【日本人お断り】北京の反日レストランと、田中角栄の謎の軍歴

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http://www.szzse.com/thread-44373-1-1.html

北京のレストランのガラス窓に貼られた張り紙が話題になっている。

「日本人とフィリピン人とベトナム人と犬はお断り」ということなのだが、こういうことは中国では珍しくもない。今までも何度か似たようなものはあった。だからいつもならそれほど気にならないことなのだが、一つ気がかりなことがあった。

どうして北京なんだろうか

去年以来、中国で反日が高まっているといっても、今はそれほど熱くなるような何かがあるわけでもない。今まで、深センとか、南寧にこういう反日レストランがあるとは聞いていたけれど、そちらはメニューにも反日要素を取り入れたりとか、日の丸の玄関マットを用意したりで、かなり手の混んだものだった。でも、こちらの北京のレストランは、張り紙一つである。それがどうしてこうも話題になるのか。

【目次】

1)白洋淀とは?

この反日レストランに関する中国語での詳細を読むと、また幾つか気になることが出てくる。

(1)店の名前は「百年卤煮」というものの、この店主が、店を経営し始めたのは2年前から。

(2)この店主は、河北省白洋淀の出身者であり、白洋淀は有名な抗日地区であった…とのこと。

▲白洋淀とはここ。北京からさほど遠いわけでもない。

http://ww32.tiki.ne.jp/~yamikato1952/kyoudo/kyoudo02.html

http://baike.baidu.com/view/9042.htm#3

▲これらによれば、中国共産党は1923年~1927年頃からこの地域で活動を始めていたが、1937年の盧溝橋事件以来、河北省一帯は日本の「傀儡政権」下になった。そこで中共の指導を受けた抗日ゲリラ「雁翎隊」が活躍するようになる。このゲリラが根拠地にしていたのが白洋淀…というわけなのだ。

中共は1921年に建党されているから、この地域への進出は建党間もない2年後である。北京の反日レストランの店主は、そういう古参の中共活動拠点&抗日ゲリラ根拠地の出身者であるわけだから、普通の中国人よりも、ちょっと「意識」が高めなのかも知れない…なるほど。

それでは、この白洋淀では具体的にはどういう日本軍の「侵略」があったのか。

■【岡山郷土部隊と白洋淀】-岡山歩兵第110連隊第2大隊の日中戦争-

http://ww32.tiki.ne.jp/~yamikato1952/kyoudo.html

▲こちらを読むとそれらの詳細が出てくる。

http://ww32.tiki.ne.jp/~yamikato1952/kyoudo/kyoudo05.html

▲日本軍の残虐行為についても多くでてくる。その真偽は別にして、北京の反日レストランの店主は、これらの「歴史」を踏まえた上での、反日であり、愛国者なのか…と想像するわけである。

2)田中角栄の謎の軍歴

ところで、表題の「田中角栄の謎の軍歴」だが、白洋淀での日本軍について調べているとたまたま次のページを見つけたのである。

■「小沢訪中団」は外交戦略そのもの。  田中角栄が中国河北の白洋テイで見たものとは。

http://www.k2o.co.jp/blog2/2009/12/post-165.php

村の人に、聞いてみると、なんでも、田中角栄氏は、戦争中、二等兵として従軍し、北支(華北のこと)に進駐したのですが、日本軍部から共産ゲリラ対策に前線に送られてしまい、偵察のつもりで、ここまできたとき、捕まってしまったのです。

 

田中角栄が白洋淀にいた…というエピソードは、中国側でもみつけることができる。

■纪实文学: 冀中儿女打击日本侵略者的故事

http://blog.zhiji.com/blog/readblog_461925.html

日本前首相田中角荣在侵华战争中就在白洋淀服役,曾吃过雁翎队“大抬杆”的苦头。1972年,中日建交,田中先生访华,曾专门到河北安新县参观,要求见识见识“大抬杆”。

(日本の田中角栄元首相は、日中戦争の時に白洋淀で兵役についていて、雁翎隊の「大擡杆」に苦しめられた。1972年の国交回復で田中先生は訪中の時、河北省安新県を訪れ、大擡杆を見たいと要求された。)

「大擡杆」とは白洋淀の中共ゲリラが使用していた武器。

http://bit.ly/XGomOK

▲こちらにその詳細が説明されている。口径が3~5cm。全長が2.5~3m。500g~1.5kgの鉄砂と100~200gの火薬を詰めて使用する。射程距離は100~150m。射程範囲は20~30mとある。巨大な散弾銃であろうか。雁翎隊は白洋淀という湖で活動する水上遊撃隊であった。たぶん、この武器は舟にのせて使用したのであろう。

http://club.kdnet.net/dispbbs.asp?boardid=1&id=6356877

1972年,田中角荣访华,周恩来和他猛干茅台,两人都喝高了,互相搂着肩膀在宴会上游走,后由秘书搀扶回房休息,原定的歌舞演出取消。田中角荣在侵华战争时是个曹长,驻扎在白洋淀,喝了不少中国酒…

(1972年、田中角栄訪中の折、周恩来と彼は茅台酒で乾杯しまくって、二人共飲み過ぎ、互いに肩を抱き合い、宴会の中でフラフラしていた。秘書に支えられて部屋に戻って休み、予定されていた歌と踊りは中止となった。田中角栄は日中戦争の時に曹長で、白洋淀に駐在しており、多くの中国酒を飲んでいた…)

▲面白いエピソードだとは思うが、真偽の程はわからない。といおうか、史実ではないと思われる。

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/history_heiekigidai.htm

http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000612.html

▲こちらに田中角栄の軍歴と、盛岡騎兵第24聯隊についてまとめられている。

田中角栄は、1939年に盛岡騎兵第3旅団第24連隊第一中隊に入隊して以来、北満、ノモンハン、大連にいて、河北省へ行った記録はない。騎兵は偵察を行うので、その可能性も考えてみたが、盛岡騎兵第24聯隊は河北へ行ってないようである。田中角栄が単独か少数で偵察をしたのかとも考えたが、田中角栄は酒保を担当していたりするので、前線で戦闘をしたり、「傀儡政権下」であったとしても、抗日ゲリラの巣窟へ偵察へ行くようなことはなかったのではないか。

http://bit.ly/XGq0zP

▲そして田中角栄の最終階級は「陸軍騎兵上等兵」だったようで、「曹長」ではない。中国側の記載とは食い違っている。そもそも、先にあげた中国側の記載では、「田中角栄曹長」が白洋淀に「服役」していた(兵役についていた)とは書いているけれど、ここで捕虜になったとは書いていないのである。

白洋淀の記念館に行けば、その地における「田中角栄伝説」の詳細がわかるのかも知れないが、捕虜になっていた田中角栄が、どうして1941年に日本へ帰ってくることができたのか、そのあたりもよくわからないのである。

どうして、こういう伝説がでてくるのか、よくわからないのであるが、こういうところを見ても、日本と中国は基本的な歴史的事実を共有できていないのではないか。

北京の反日レストランのことを調べていたら、思いがけない伝説を見つけてしまった。今度、北京へ行くことがあれば、少し足を伸ばして、白洋淀にも行って確かめてみようと思う。