昔、北京に留学していた頃、時間があるとカメラを持って外に出て、ひたすら街を歩き続けて写真を撮った。
今思うと、特に何か撮りたいテーマがあったのではなく、北京の人々の中に入り込んで、彼らの生活を見たかった。中国とは一体何なのか…自分の目で確かめてみたかった。カメラはそのための口実であり、写真は自分が見た中国の記録であった。
胡同で見つけた文革の傷跡
この写真は、留学を終えてからしばらく経って、北京を再訪した時に、「こういうのって留学の時にもあったな…」と、懐かしく思い撮影したものだ。
最初見つけた時は不気味な姿に驚いたが、どうやら文革の時に破壊された石獅子であるらしい。
どうして破壊された石獅子をずっと店先に飾ってあるのか?…それが不思議だったが、中国の他の場所でも、文革の時に破壊された物をそのまま飾ってあるのを見かけることがある。
中国人流の無言の抗議
単に、破壊されたのをそのままにしているだけどか、修復しないでいるとか、よく見ないと破損しているのがわからないから放置しているとか、様々な事情があるようだけど、店先に置かれた顔のない石獅子は非常に目立つ。しかも、ここまで顔をひどく削られているのは、実際に見ると誠に痛々しい。
この手の破壊された石像の類を、中国のアチコチで見てわかってきたのは、どうやらこれは文革の記憶を風化させないためで、当時ひどい目に遭った人達の「抵抗」の意思表示らしいのだ。
「文革の時に我が家はこんなに酷い目に遭った。あの時代を忘れちゃいけない。二度とあんなことをしてはいけない」
…ということらしい。
そういう事情がわかると、中国で散歩するのは面白くなってくるが、これは面白がって良いことなのか。複雑な気持ちを抱えながら、中国を読み解くための、次の「手がかり」を探し、また歩き続けるのでした。