昔から私がよく使う中国を説明する言葉に、「話してわかるなら城管は要らぬ」「暴力は中国で唯一どこでも通用する言語である」というのがあるけれど、これは日本から見ると奇異なように思えて、中国にしばらく住むと誰でも納得できると思う。実際、中国から「暴力」を抜くと、国が回らなくなると思う。
— 黒色中国 (@bci_) 2015, 9月 27
▲ツイッターでこのつぶやきをしたところ、なぜかウケが良かった(笑)
ところで、「城管って何?」という人もいるだろうし、城管の暴力がどのようなものかよくわからない人だっているだろう。
▲「城管」に関する概要はこちらを参照していただくとして、私の方からもわかりやすい事例を1つ紹介しておこうと思う。
こちらは6年前に上海で撮影された動画で、上海万博の前のものと思われる。浦東の昌里路という場所は、万博の会場に近いので、周辺の治安や景観を改善するために、城管が違法な出店を取り締まっていたらしいのだ。
動画の中に見える「穿耳」とは耳にピアス穴をあけること。そういう看板を掲げる違法な店があったので看板を没収したところ、取り返すべくトラックの荷台にあがった人がいたので馬乗りになって押さえつけ、そこに別の城管が蹴りを入れている…という状況なのだろう。
そもそも、中国人が自主的にルールを守るのであれば、こういう実力行使をする必要はないのだけれど、罰則が明示された上で実害が及ぶ状況にないと中国人はほとんどルールを守ろうとしない。ルールを守らないことで得る利益があれば、ルールを守らない。そういう状況があるからこそ、城管なるお仕事が中国にはあって、「ルールに従わない奴はこうなるんだぜ!」というのを見せつける必要があるのだろう。これはルールの効果的な可視化なのである。
中国では、「利益」を求めて、ルールを守らない人が一箇所に集中し、秩序が破壊されることがある。これは今となっては中国国内だけの問題ではなくなっているのだ。
去年、大阪のアップルストアで大量の中国人が暴れたのは記憶に新しい。
日本の場合、中国人が暴れるからといって「城管」を用意することもできないが、そもそも中国に城管がいるから、不法行為や騒動を抑止できているのかといえばそうでもない。「話してわかるなら城管は要らぬ」ではあるものの、城管がいるからといって、中国人が聞き分けの良い人になってくれるわけではないのだ。
日本でも中国人が身近な存在となっている今、単純な排外主義に陥るのではなく、中国人の性質を掴んだ上で、より多面的なアプローチを考えるべきではないだろうか。