たまたまツイッターで話している内に、『戦争論』の話題が出た。それで気づいたのだが、
発行されたのが1998年…もう20年前のことになるのか。
ずっと、つい最近のことだとばかり思い込んでいた。
この漫画が有名になった時は、仕事が忙しくて読むヒマもなく、しばらくして中国にいる時間が長くなったので、ようやく読めたのは3年前だ。
私はほとんど漫画を読まない上に、小林よしのり氏の漫画が苦手なので、ずっと読む気がしなかった。昔、北京留学中に、友人がゴーマニズム宣言をほぼ全巻揃えていたので、ちょっと読ませてもらったことがあるけど、あの扇情的な内容が苦手なのだ。
ただ、それでも3年前に『戦争論』を読みたいと思ったのは2つ理由があって、1つは昔、東京で勤めていた頃…『戦争論』発売直後のことだったと思うのだが、たまたま立ち寄ったコンビニの近くで、立ったまま『戦争論』を読んでいる青年がいて(たぶん大学生ぐらいの年頃)、彼が目に涙を溜めながら身体を震わして、今にも泣きそうな顔で、真剣な眼差しで、ページをめくっているのを見て、「そんなにスゴイ漫画なのか…」と印象に残ったのである。
もう1つの理由は、3年ぐらい前に、ネットで小林よしのり氏が連載しているコラムをたびたび見かけることがあって、そちらの文章は短いながら面白かった。小林よしのり氏は、漫画は扇情的だし、テレビで議論しているのを見ると「怪しいおっさん」であるけど、文章は簡潔ながらしっかりしたものを書く。それと、演説が上手いのも感心した。人の心を掴むのに長けているのだろう。
誰が彼をどう思おうが、現代日本の一時代を築いた1人には違いない。なので、あの感動に震える青年のことも思い出して、3年前に『戦争論』を読んでみようと思ったのだ。
『戦争論』の他にも、いくつか同時に彼の作品を読んでみたのだが、小林よしのり氏の論調というのは、根幹の部分に「情」があって、作品に散りばめられている情報・論理の全ては、読者の「情」をいかに揺さぶるのか…という一点に集中しているように感じた。
それが「小林よしのり」という稀代のコンテンツメーカーの「秘訣」なのだろうけど、私のやり方としては、「事実をもとに中国とは何であるかを考える」であって、心に立ち入られ、情を揺さぶられるのは「余計なお世話」と考えてしまう。やっぱり、私には合わない漫画だった。
『戦争論』を読んで、情を揺さぶられた、義憤にかられた…私が見かけた青年みたいな人が…その後、ネット右翼へと変貌していったのだろう…と想像するのだけど、現在ツイッターで活躍されているネット右翼の皆さんを見れば、「情」に厚く義憤にかられた愛国者…というより、隣国憎悪が専門の「非情」なレイシストであるし、小林よしのり氏は、ネット右翼の世界で不人気な人物になってしまった。
『戦争論』を思い出すに、この20年の日本の変化の大きさを、改めて実感したのであった。
- 今日の発見 このブログ記事は予想外に多くの人に見られて、小林よしのり氏のファンにもたくさん見られたけど、幾つかお叱りのリプライがあり、私みたいにちょっとしか読んでない者が小林よしのり氏を論評するのは許せなかったみたい。それで、後日「脱正義論」を読んだけど、20年以上前の話なので、「薬害エイズってどんな事件だったっけ?」というところから別途ネットの情報を読んで勉強しつつ、読み進めたけど、運動論みたいな話ばかりで、それを自分の頭の中で如何に理解すればいいのかよくわからなかった。わかったのは、小林よしのり氏は薬害エイズの際によく演説をしており、私が彼を「演説上手」に思えたのはたまたまの偶然でもなかったみたい。ソレ相当に経験を積んできた人だったのだ…ということだった。