黒色中国BLOG

中国について学び・考え・行動するのが私のライフワークです

「漢服」を理解するための7つのキーワード

SPONSORED LINK

 一昨日、ツイートした石平さんの産経のコラムについて、色々な反響があった。ツイッターの方でも色々述べさせていただいた。

f:id:blackchinainfo:20150502101712j:plain

▲ちなみに「漢服」とはこのような服装である(写真はウィキペディアより。©hanfulove)。

この「漢服」の件は、現代中国を理解する上でも面白い現象である。こちらでも「キーワード」別にして、私の考えと共にまとめておこうと思う。

 1:チャイナドレス

f:id:blackchinainfo:20150502082458j:plain

一般的に「チャイナドレス」と呼ばれているのは、そもそも満州族の服装である。中国語では、「長衫」(チャンシャン)とか「旗袍」(チーパオ)と呼ぶ。厳密に言えば漢民族の伝統的な服装ではないのだが、中国を代表する伝統的な服装の1つとして普及している。それは何故なのか?

2:剃髪易服(ていはついふく)

満州族が清朝を建てた時に、漢民族にも辮髪と長衫を強制したのである。これを「剃髪易服」という。この場合の「易」は「かえる」ということだ。漢民族からすれば、侵略者にヘアスタイルとファッションを強制されたわけで、これは民族的なトラウマになっている、と思う人もいるようだが、それは果たしてどうなのか。

3:胡服騎射(こふくきしゃ)

遡ると、中国の戦国時代の趙の武霊王(? - 紀元前295年)が、騎馬民族の匈奴に対抗し、兵装を改め「胡服」(「胡」は遊牧民族の蔑称)を着て、馬に乗って弓を射るようにした。この時も胡服の採用を巡ってモメたらしい。そのあたりの事情を詳しく知りたい人は、次の2つのページを参考にすれば良いと思う。

ようするに、満州族に強制される以前からも、不本意とは思いながらも、自発的に伝統的な服装を改めなくてはいけないような事情が、はるか2千何百年前からも漢民族にはあったのだ。

4:驅除韃虜,恢復中華(くじょだつりょ、かいふくちゅうか)

「韃虜」とは「韃靼人」…つまりタタール人なわけだが、遊牧民族の総称と見て良い。「驅除韃虜,恢復中華」は辛亥革命のスローガンの一つで、この場合の「韃虜」は満州族のことを指す。「満州族をやっつけて、中華を取り戻そう」ということである。

f:id:blackchinainfo:20150502091534j:plain

但し、そういうスローガンを掲げた孫文でも、「韃虜」の服装である長衫を着ていたりする。写真は1924年に広州の大元帥府で撮影されたもの。辛亥革命で満州族をやっつけた張本人が、満州族の服を着ているわけだが、この時代に漢服は「取り戻すべき中華」の対象になっていなかったようだ。そもそも300年近く続いた清朝の統治で、漢服はほとんど残っていなかった(仏教、儒教の衣装、山民や少数民族の服装の一部に残っていたらしいが)。むしろ、清朝三百年の間に、長衫は漢民族の服装として消化吸収されてしまったのではないだろうか。

5:漢服復興運動

これは、ウィキペディアに解説がある。

辛亥革命で清朝を打倒しても、長衫を廃して漢服を着るようなことはほぼ行われなかった。でも、なぜか20世紀末あたりから、漢服が再登場するようになったのだ。ウィキペディアの執筆者はその理由の1つとして「漢族のナショナリズム」を挙げている。私が思うに、漢服復興運動は、民族伝統文化の「レコンキスタ」である。別に悪いことではない。少々、歴史的な考証がおかしくても、伝統を見なおして楽しんでいるのだから、別に構わないではないか。但し、そういう意識を政権が利用して、領土の「レコンキスタ」に繋げて、周辺諸国へ侵略を進めようとするのであれば、我々は警戒せねばなるまい。石平さんがコラムで述べているのはそういう懸念なのである。

6:婚紗(ふんしゃぁ)

それれにしても、どうして漢服が改めて広まるようになったのだろうか…と思うわけだが、私にも1つ思い当たることがあった。私の記憶でも05年あたりには婚紗の衣装の1つとして漢服はあった。「婚紗」とは中国語で、結婚記念の写真のことである。中華圏では、結婚の記念に、様々な衣装を着て、プロのカメラマンに写真集を作ってもらい、それを関係者に配布する習慣があるのだ。婚紗を撮影してくれる写真館へ行けば、いろんな衣装が用意されていて、その中に漢服もある。

▲こちらを参照いただければ、それらの事例を見られる。

結婚記念以外にも、個人や友人と一緒に特別な衣装を着て撮影してもらう習慣もあり、私の友人も漢服を着た写真をプロに撮ってもらって、それを見せてくれたことがある。

遡って考えると、1980年代頃の婚紗は極めて簡単なもので、1990年代あたりから、西洋のウェディング・ドレスを着たのはあったと思う。その頃に漢服を着たものは記憶にない。ただ、その辺りから、婚紗用の衣装のバリエーションは増えていたと思う。西洋のウェディング・ドレスだけではなくて、やはり自分たちの伝統衣装も着たい…そういう中の選択肢の1つとして、漢服が現れたこともあったのではないか、と思われる。

7:マギー・チャン

近年、チャイナドレスを改めて注目させた人物として、マギー・チャンの存在は欠かせられないであろう。『花様年華』という映画の中で、彼女が様々な美しいチャイナドレスを着たことで、チャイナドレスはちょっとしたブームになった。

▲ちなみに、『花様年華』でマギー・チャンが着ていたチャイナドレスを仕立てた店は香港にあり、たぶん今でも営業しているのではないかと思う。

上掲の動画を見てもわかるように、マギー・チャンの着ているチャイナドレスは、現代風にアレンジされているもので、ルーツに満州族があったとしても、ほぼその「民族臭」は残されていない。

https://www.shanghaitang.com/en-intl/women/dresses.html

▲こちらは香港のファッション・ブランド「上海灘」であるが、こちらのチャイナドレスを見ても現代化されている(ちなみに上掲のページに掲載されている全てがチャイナドレスではない)。

そもそも、漢民族は中国大陸にあって、周辺異民族の影響を受けてきた。細かいことを言えば、小麦の粉食や油で揚げる調理法ですら、漢民族のオリジナルではなくて、外来の食文化である。異文化を上手く吸収消化して、工夫して発展させるのが漢民族の優れたところであろう。伝統も大切だろうが、漢民族の根源的な素質は、異文化の吸収と発展の方にあるのではないだろうか。

チャイナドレス大全 文化・歴史・思想

チャイナドレス大全 文化・歴史・思想

  • 作者:謝黎
  • 発売日: 2020/06/24
  • メディア: 単行本