黒色中国BLOG

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副島種臣の中国旅行記を追って…まずは3冊の伝記をあたってみました

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去年(といっても先月のことだが)、ツイッターで副島種臣の話をしている時に気になって、彼の「支那漫遊」がどんなものだったのかを調べようととりあえず、近年発行された伝記3冊を調べてみました。

副島種臣伯(丸山幹治著/みすず書房)

副島種臣伯 (みすずリプリント)

副島種臣伯 (みすずリプリント)

 

1987年4月の発行だが、元は昭和11年に発行された本のリプリント版である。だから書体も文体も古めかしい。

「支那漫遊」に関する部分は非常に少なく、「支那漫遊、一等侍講となる」(293~307頁)の箇所のみで、前半は明治六年政変に触れ、後半は侍講時代のエピソードで埋められ、「支那漫遊」についての記述は295頁の末尾数行から297頁の半ば過ぎまでである。内容的にはネットで読める程度の簡単なことしか書かれていない。

昔の人のことだから、最近の本の内容は、元ネタが古い本にあるのではないか…それなら古い本を見るのが確かだろう…と思いきや、全くアテが外れた。ただ、1つ気になったのは、297頁の

先生の詩は、その支那各地の紀行文ともいふべきである。

 …の箇所だ。

副島自身が「支那漫遊」を1冊にまとめた紀行文は存在しない。副島による記録は、中国各地でしたためた「詩」だけではないのか。

副島種臣(大橋昭夫著/新人物往来社)

副島種臣

副島種臣

 

 1990年発行。303頁から「副島の清国漫遊」が始まるが、305頁の冒頭で終わる。実質1頁半ぐらい。内容的には目新しいものはなし。

先述の『副島種臣伯』は2つの「序」があり、先に牧野伸顕伯爵、次に副島道正伯爵(種臣の三男)が書いている。

牧野伸顕は大久保利通の次男にあたり、大久保は副島種臣との親交があった。

副島道正は「序」の中で「畏友丸山幹治君」と書いてあるので、個人的な交流があったのだろう。つまり、『副島種臣伯』は副島の死後に近親者公認で書かれた「正史」であるから、文量も随分とあるけど、あくまでも「公式記録」である。

大橋昭夫氏による『副島種臣』の方は、公式記録とは別で、後世の研究者の見解やらエピソードを織り交ぜているので、「読み物」としては充実している。ただ、いずれにせよ「支那漫遊」についてはほぼ記載がない。

副島種臣(安岡昭男著/吉川弘文館)

副島種臣 (人物叢書)

副島種臣 (人物叢書)

 

2012年発行というから最近である。今回手にとった3冊の中で最も薄いが、156頁から始まる『清国漫遊』は8頁もあり、私が探している「目当て」としては内容が最も充実していたし、次につながる重要な「手がかり」も残してくれていた。

草森紳一氏(二〇〇八年三月没)は「薔薇香處ー副島種臣の中国漫遊ー」を『文学界』で四十回連載(二〇〇〇年 二月~二〇〇三年四月)、副島をめぐる人物と関連事項にかかわる諸書、記録などを博捜し、事実の調査に努め、漢詩の素養も生かし周辺の事柄も含めて詳述した(160頁)

連載終了の5年後に草森氏が亡くなったこともあってか、この連載が本として1冊にまとめられて出版された様子はない。

とにかく、正月が明けたら図書館に行ってこようと思います(^^)

  • 今日の発見 草森紳一さん先を越されたというのか、みんな似たようなことを考えるものだなぁ…と感心しました。