黒色中国BLOG

中国について学び・考え・行動するのが私のライフワークです

日本最初期のチャイナウォッチャー「副島種臣」

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昨日は何気なくつぶやいたこのツイートが意外に多くRTされたが、RTの数より集まってきたリプライが有益だった。

それらは直接ツイートを見ていただくとして、私自身面白いと思ったのは、副島種臣の件だ。彼の書が中国で評価されている…彼自身も中国では評判が良い日本人であった…というのだ。

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▲副島種臣

副島種臣と清国 

日清戦争120周年の折、興味あって山東省威海市に赴き、「威海衛の戦い」の史跡を巡り歩き、関連の書籍、資料なども読んだのだけど、明治以後~日清戦争以前の日清関係というのは、自分が考えていたのとはかなり違ったものだった。当時日本はまだ開国したばかりの小国であって、清国は、アヘン戦争、清仏戦争に負けたといえども、アジアの大国である。

日本で今に続く「シナチャンコロ」の中国蔑視が本格的に広まるのは日清戦争前後からで、中国側で巻き起こる「抗日」もソレ以後の話だ。

この時代の日中の交流…日本側の中国観、中国側の日本観というのは、まとまった資料も多くなく、見つけ次第に読んでいるのだが、副島種臣の件はすっかり抜け落ちていた。リプライを戴いてから調べてみると、なかなか面白そうなのである。

まずは、中国で副島の書が有名であると聞いたので、そこから百度で検索して見つかったのがこれ。「日本の名臣にして漢学者」と紹介され、副島の書が骨董屋で売られている。

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上手いといえば確かにそうかも知れないが、これはそんなに達筆なのだろうか。私は書道も習字にも縁がない男なので、書の良し悪しはわからない。ただ、中国人が評価するには、それなりに何か理由があるのだろうと思い、リンク先の紹介を読み進めると

幕末佐贺七贤之一,明治初期为外务大臣,牡丹社事件中,抓住清朝官员台湾乃生番之地的推脱之词,出兵台湾,造成事后清政府承认琉球是日本属地和赔款50万白银。后和主张征韩的西乡隆盛一起离开政府,儿子去世后曾在中国漫游三年,归国后成为天皇的儒学老师,鼓吹自由民权运动。副岛种臣为人豪爽重情义轻财货。平时除四季外出服装外,仅有衣服一两套。常食豆腐及豆腐渣,不饮酒。为官所得多赠人,内心讲求民主,对外坚决维护日本的民族利益。在中日交往中,和黎庶昌何如璋王冶梅都很有交情。

 …とある。「佐賀七賢」の1人で、明治初期の外務大臣であり、牡丹社事件~台湾出兵での交渉にあたったこと、子供が亡くなってから中国を3年旅したことなどにふれ、豪壮にして情義に厚く、金銭に執着せず…豆腐やオカラを常食し酒を飲まず、心には民を思い、対外的には日本民族の利益の保護に務め…と絶賛されておりますね。

文末にて黎庶昌、何如璋、王冶梅の3名と交流があったと書かれていますが

黎庶昌と何如璋は、清朝官僚で日本に公使として滞在した経験あり。王冶梅は画家で長崎に来たことがあり、その時に副島と面識があったのかも知れません。

なぜこんなに絶賛されているのだろうか…と思うのですが、副島は牡丹社事件(1874年)の前に、マリア・ルス号事件(1872年)に関わっており、

副島はペルーに送られる中国人奴隷231人を解放したため、当時中国での評価が高かったのだろう…と思われます。先の清国人3名の来日もマリア・ルス号事件以後です。日清修好条規の締結の際に、清朝皇帝に謁見し、その際に清朝の高官と詩文交換をし、評価が高かった…とあるのですが、たぶんそれ以前のマリア・ルス号事件での活躍が「効いている」ためじゃないかと思います。

ちなみに、百度百科とウィキペディアで副島の紹介があったので、見比べてみると…

百度百科の紹介の方が量が多く、詳しいですw

中国でこういう扱いを受ける日本人は希少ですね。

副島種臣に関する2つの疑問

3年間の中国滞在中の記録は存在するのか

この点は百度百科に詳しいので引用すると

副岛种臣虽是日本自由民权思想的首倡者,但其本人未参加自由民权运动。后来由其三个儿子一年内相继死去,心灰意冷之余,遂将东京霞关的住宅以1.5万元的低价卖给有栖川宫炽仁亲王,1876至1878年间在中国南北各地漫游,号称“中国通”。

副島種臣は自由民権思想の提唱者であったけど、運動には参加せず(1874年当時の話)、それから3人の子供が1年内に相次いで亡くなったため、東京霞が関の住宅を有栖川宮に1.5万元の低価で売り、1876年から1878年の間、中国南北各地を漫遊し、「中国通」として知られた…とあります。

たぶん副島は、日本でも最初期の「チャイナウォッチャー」にあたるのではないか。

副島の中国滞在記があれば読んでみたい…と思い、探してみましたが、

▲こちらに出てくる17件のうち、『清国近世乱誌』で副島は著者ではなく「校閲」しただけなので著作とは呼べない。全集があるのでそちらをのぞいてみると

第1巻を見る限り、全部漢文で中国滞在時に関する記録がどこにあるのかすぐにはわかりませんでした(´Д⊂グスン

この件は、ちょっと時間をかけて調べてみようと思います。

中国のネットで売られている書は本物なのか

もう一回、副島の書に戻りますが

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私は最初、この書が副島の中国滞在期(1876~1878)に中国で書かれたものとばかり思っていたのですが、左側の署名に「正二位」とあり、副島が正二位を授与されたのが、亡くなられる3年前の1902年ですから、これが本物だとしたら、何らかの事情で日本から中国へ流出したものになります。

書かれた時期については、写真を見る限り何も記載されていないので、いつの作品かわからない。こういうのって鑑定のプロが見ればわかるものなのでしょうかね。これが贋作であったとしても、本物であったとしても、こういう作品が流通し、取引されるということは、やはり副島の人気あってこそですから、日本人としては嬉しいことではないですか。

ツイッターって、毎日罵倒とデマばっかりでウンザリするのですが、こういう発見があるからいつまでもヤメられませんね。

副島種臣 (人物叢書)

副島種臣 (人物叢書)