【国内初、沖縄の城跡からローマ帝国のコイン出土】『東アジア経由で入手か』 うるま市教育委員会(栄門忠光教育長)は26日、勝連城跡の発掘調査で、ローマ帝国とオスマン帝国の金属製の貨幣(コイン)計5点が出土したと発表した。 https://t.co/CCaLcZlyeE
— 黒色中国 (@bci_) 2016年9月26日
最近は、沖縄の動向が日中関係に及ぼす影響が非常に気になるので、沖縄タイムスと琉球新報を毎日ネットで読んで、気になるニュースをツイートしているのですが、残念ながら、これを不快に思う人が少なからずおります。
沖縄の地元メディアを嫌悪する立場の人もいるし、沖縄の様々な問題について論ずる時は、保守派の立ち位置を旗幟鮮明にして、彼等と一緒に中傷罵倒していないと「敵視」してくる人もいて、沖縄のニュースをツイートするのは結構面倒です。私はあくまでも中国と関わりがあると思ってツイートしているだけなのですが…。
では今回、沖縄の城跡で出土したローマ帝国のコインが中国と何の関係があるのか…このニュースを見た瞬間に、ザイトンと関係があるのでは…と私は考えました。
国際貿易港「ザイトン」
ザイトンは漢字では「刺桐」と書き、現在の福建省泉州市になります。
唐代にはベトナムやインド、アラビア半島にまで及ぶ海上交易ルートが確立し、明州や広州と並ぶ貿易港となった。760年の揚州大虐殺や、878年の広州大虐殺の影響で、西方への国際貿易が泉州や福州に集中した。
909年に王審知が福州で閩国を建国。しかし、その後の内乱で福州の治安が悪くなると、泉州に国際貿易が集中するようになった。
1279年に崖山の戦いで南宋(1127年-1279年)が滅亡すると、元朝(1271年-1368年)に協力したアラブ人の蒲寿庚が重用され港湾都市として発展した。「陶磁の道(海のシルクロード)」の拠点として漢人のほかにもアラブ人やペルシャ人などが居住する国際都市として発展し、『アラビアンナイト』にも「船乗りシンドバッド」の住む舞台として登場する事からも中世イスラム世界にも知られた都市であったことが推察され、またマルコ・ポーロの『東方見聞録』には「ザイトン」の名称で紹介されている。14世紀にはイブン・バットゥータも訪れている。
明代(1368年-1644年)には海岸線の後退に伴い港湾都市としての機能が失われ、海上交易の中心地は長楽や廈門などに移行していった。
(中略)
泉州は琉球からの貿易船の指定港でもあり、商館「来遠駅(泉州琉球館)」があったが、1472年に福州に移った。
泉州と沖縄は直線距離で938kmしか離れていません。唐代から明代にかけて国際貿易港として栄えた泉州と沖縄は「ご近所」ですから、たぶんこれらの接点で、ローマ帝国のコインが持ち込まれたのではないかな…と思ったわけです。
詳細については、今後の調査・研究を待つしかありませんが、普段の日本人の視点では、沖縄は日本の端っこにある島なのですが、歴史の視点で見ると、沖縄は世界的に有名な国際貿易港ザイトンのご近所だったわけで、この視点からは日本の方が「端っこ」になります。
これは日本を貶めようということではなく、日本から離れた「視点」で日本を見れば、日本のことがもっとよく見えるようになるのではないか…中国や沖縄について理解を深めるのは、日本を客観的見るための別の「視点」を得る上で重要ではないか…と私は考えるわけです。