黒色中国BLOG

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【ナトゥナ諸島問題】中国人が宋代から支配し、最後の王国を建てた?…その真相に迫る

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きょう初めて開催された日本とインドネシアの外務・防衛閣僚会合(2プラス2)。南シナ海問題の連携や防衛装備品・技術移転の交渉加速で合意しました。インドネシアが安全保障で日本と協力するのは、ナトゥナ諸島の存在が影響しています。近年中国の漁船などが多く接近。インドネシアのリャミザルド国防大臣は、来年さらに1,000人の駐留兵士を増やすことを明らかにしました

これまで、インドネシアと中国の間には領土問題がない…と言われてきたが、最近はナトゥナ諸島への危機感が高まっているようだ。

中国の人工島造成などで緊張が続く南シナ海の南端に位置するインドネシア領ナトゥナ諸島に戦闘機部隊や小型軍艦を配備、駐留兵士を約2千人に大幅増員するなど防衛態勢を強化する

▲つい3日前にもこんなニュースがあった。

 中国外務省の洪磊報道官は12日の定例会見で、中国が主権を主張するスプラトリー(中国名・南沙)諸島について「インドネシアが領土を要求したことはない」とした上で、「ナトゥナ諸島の主権はインドネシアに属しており、中国は異議を示したことはない」と主張した。

(中略)

 しかし中国メディアは、同諸島は宋代から中国が支配し、最後の「王国」も中国人が建てたと主張。清朝の衰亡でオランダの植民地になったと伝えている。

▲中国はナトゥナ諸島におけるインドネシアの主権を認めているのだが、中国側の回答はどうもスッキリしない。

Karta CN SouthChinaSea

通常、中国が領土拡張を行う時、「領土完整」という建前を用いる。つまり、「歴史をさかのぼると、そこは以前私達の領土でした」といって「失地回復」の名目で「取り返し」に来るのだ。

主権が他国にあることを認めていても、中国が歴史的経緯を掲げて公言する限りは、「領土完整」の対象としてしている可能性がある。そこで、ナトゥナ諸島に関する中国の歴史的立場を調べてみることにした。

ナトゥナ諸島は中国と外国の海域分界?

自宋代以来,越南中部的交趾洋以及婆罗洲西北的纳土纳群岛已被作为中国与外国的海域分界,凡从外国来的船只,过了纳土纳群岛或交趾洋,即进入中国之境。

▲「宋代以来、ベトナム中部のおよびボルネオ島西北のナトゥナ諸島は中国と外国の海域分界とされて来た。通常、外国からやってきた船舶は、ナトゥナ諸島あるいは交趾洋を越えて、中国の境に進入したのである」

交趾洋」(こうちよう)とは聞き慣れないが、「交趾」(こうち)は前漢から唐の時代にベトナム中部に置かれていた中国の郡の名称であり、中国の支配から独立した後も、中国側ではこの地を「交趾」と呼んだらしい。つまり「交趾洋」は今で言うところの、南シナ海のベトナム寄りの海域である。

地図で確認すると、「交趾」は現在のハノイ付近であり、ナトゥナ諸島からかなり離れている。中国側は「宋代以来…」とまことしやかに書き起こすわけだが、かなりアバウトな「境界」であって、とりあえず南シナ海のベトナムとボルネオ島の間を通ったあたりから、海南島手前のベトナム北部ぐらいの広大な海域が、かつて中国の境界でした…と言っているのである。

尖閣諸島と似ているナトゥナ諸島の状況

何となくどこかで聞いたような…と思いだしたのだが、尖閣諸島もこれと同じケースである。かつて中国人は魚釣島を目印にして、それを越えたら先は琉球であると認識していた。ところがこの「認識」では、魚釣島までは中国なのか、魚釣島が琉球の範囲に入っているのかわからない。ナトゥナ諸島は現在、「尖閣諸島一歩手前」の状態なのである。

産経の記事では、中国メディアを引用して「宋代から中国が支配し」と書いてあるが、これはどう読んでも「支配」ではなく「目印」にしていたに過ぎない。しかもかなりアバウトな目印である。

明朝滅亡後に潮州人が建国し、一代で滅んだ王国

百度百科のナトゥナ諸島の記述を読み進めると、明末(17世紀)に生まれた広東省の潮州出身の「張傑緒」なる人物が、ナトゥナ諸島に王国を建て(しかしこの王国には国号がない)国王に就任した。ただし19世紀に張傑緒が亡くなると、内紛が起きて、王国は瓦解した…とある。

ちょっと待て。

17世紀に生まれて19世紀に亡くなる?

出生于明朝末年广东潮州人张杰绪,在安波那岛(纳土纳岛)建立没有特定名号的王国,自任国王。19世纪张杰绪逝世,内部发生纷争,王国瓦解。

 明朝末年とはいつか?明朝は西暦1644年に滅んでいるので、そのあたりに間違いない。1644年に生まれて1801年(19世紀最初の年)に亡くなったとしても、157歳ぐらいまで生きていたことになる(!)。

どうやら、張傑緒は実在の人物とは思えない

百度百科を更に読み進めると、1つ気になる記載があった。

纳土纳大岛一些比较早的华人家谱记载:清兵入关后消灭了南方的南明政权,在广东沿海岛屿上坚持抗清的几百残兵和几百家不服满清统治的渔民逃到了南洋的这个小群岛上。

▲「ナトゥナ大島は、比較的早くから華人の家系図に記載されていた。清兵の入関後、南方の南明政権を消滅させたが、広東省沿海の島嶼で清に抵抗を続けていた数百の残存兵と数百家の清の統治を不服とする漁民たちが南洋のこれらの小群島へ逃亡した」

清兵の入関」は満洲軍が山海関を越えた時のことだろう。

南明政権」は明朝滅亡後(1644)、明の皇族が作った亡命政権。それも1661年には滅んでしまう。この文から判断すると、広東省の明朝残存勢力と漁民たちが南洋に逃亡したのは1661年以後ではないか。

たぶん、張傑緒は実在の人物ではなくて、清の支配に抵抗し南洋に逃亡した人々の間で創り出された伝説ではないだろうか。

このような、不確かな「歴史」を担ぎ出して、かつてナトゥナ諸島に中国人が作った王国があった…と言い出す中国にはやはり警戒せざるを得ないのである。