黒色中国BLOG

中国について学び・考え・行動するのが私のライフワークです

自称「イスラム国」の「聖戦」を呼びかける中国語の歌を日本語に翻訳してみました

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自称「イスラム国」が、「聖戦」を呼びかける内容の中国語の歌をつくった…ということで、では一体どういう内容なのかを調べてみました。

▲私はこの手の翻訳が苦手なんですけど、ISの対中宣伝の意図を解き明かすべく、がんばって日本語に訳してみました。

『我らは聖戦士』

我们是Mujāhid,无耻的敌人会恐慌,
战死在这沙场上,就是我们的梦想
我らは聖戦士、恥知らずの敵を恐らしめる
この砂原での戦死こそ、我らの願い

我们是Mujāhid,无耻的敌人会恐慌,
战死在这沙场上,就是我们的梦想
我らは聖戦士、恥知らずの敵を恐らしめる
この砂原での戦死こそ、我らの願い

一个世纪被奴役,留下那赤裸的回忆。
无知的沈睡下去,恶梦将会持续
一世紀にわたり奴役につかされた、その記憶を忘れるな
知らずに眠れば、悪夢が続くだろう

一个世纪被奴役,留下那赤裸的回忆。
无知的沈睡下去,恶梦将会持续
一世紀にわたり奴役につかされた、その記憶を忘れるな
知らずに眠れば、悪夢が続くだろう

醒来吧!穆斯林兄弟,现在是觉醒的时机,
带上信仰和勇气,履行流失的教义。
目覚めよ!ムスリム兄弟よ、今が目覚めの時なのだ
信仰と勇気を持って、失われた教義を履行するのだ

醒来吧!穆斯林兄弟,现在是觉醒的时机,
带上信仰和勇气,履行流失的教义。
目覚めよ!ムスリム兄弟よ、今が目覚めの時なのだ
信仰と勇気を持って、失われた教義を履行するのだ

我们是Mujāhid,无耻的敌人会恐慌,
战死在这沙场上,就是我们的梦想
我らは聖戦士、恥知らずの敵を恐らしめる
この砂原での戦死こそ、我らの願い

我们至今守着,古兰经和圣训。
没有人和力量,能阻止我们前进。
我々は今もコーランとハディースを守っている
我々の前進を阻止できる人と力は存在しない

我们至今守着,古兰经和圣训。
没有人和力量,能阻止我们前进。
我々は今もコーランとハディースを守っている
我々の前進を阻止できる人と力は存在しない

我们是Mujāhid,无耻的敌人会恐慌,
战死在这沙场上,就是我们的梦想
我らは聖戦士、恥知らずの敵を恐らしめる
この砂原での戦死こそ、我らの願い

为主道而战斗,伟大阿拉的命令。
拿起武器去反抗,先牧圣的指令。
主の道のために戦え、偉大なるアッラーの命令だ
武器を手に反抗せよ、先牧聖の指令なのだ

为主道而战斗,伟大阿拉的命令。
拿起武器去反抗,先牧圣的指令。
主の道のために戦え、偉大なるアッラーの命令だ
武器を手に反抗せよ、先牧聖の指令なのだ

我们是Mujāhid,无耻的敌人会恐慌,
战死在这沙场上,就是我们的梦想
我らは聖戦士、恥知らずの敵を恐らしめる
この砂原での戦死こそ、我らの願い

伊斯兰的辉煌,已留在那历史上。
让它重返光芒,是奋斗的方向。
歴史に刻まれたる、イスラムの輝き
その光を取り戻させよ、これが戦いの目標なのだ

伊斯兰的辉煌,已留在那历史上。
让它重返光芒,是奋斗的方向。
歴史に刻まれたる、イスラムの輝き
その光を取り戻させよ、これが戦いの目標なのだ

醒来吧!穆斯林兄弟,现在是觉醒的时机,
带上信仰和勇气,履行流失的教义。
目覚めよ!ムスリム兄弟よ、今が目覚めの時なのだ
信仰と勇気を持って、失われた教義を履行するのだ

醒来吧!穆斯林兄弟,现在是觉醒的时机,
带上信仰和勇气,履行流失的教义。
目覚めよ!ムスリム兄弟よ、今が目覚めの時なのだ
信仰と勇気を持って、失われた教義を履行するのだ

我们是Mujāhid,无耻的敌人会恐慌,
战死在这沙场上,就是我们的梦想
我らは聖戦士、恥知らずの敵を恐らしめる
この砂原での戦死こそ、我らの願い

なるべく直訳っぽくしてみました。幾つか注釈すると、

  1. 沙场」(砂場)は中国語で「戦場」を意味するそうです。ただ、ISの「戦場」って主に砂地のところが多い印象なので、この言葉を持ってきたのかと。折角ですから原文のテイストをいかして「砂原」としました。
  2. 圣训」(聖訓)は中国語で「ハディース」を意味します。預言者ムハンマドの言行録です。
  3. 先牧聖」の意味はネット上で検索しても見当たりませんでした。この句はその前の「偉大なるアッラーの命令だ」と合わせて対句表現になっていますから、たぶんそれに準ずる教義上の偉い人?なのかと。プロテスタントに「牧師」という言葉がありますけど、これは信者を教え導く人、ということですからたぶんそのような立場の人で、聖人先達という意味も併せ持った言葉ではないかと思います。
  4. 履行流失的教义」(履行流失的教義)…「失われた教義を履行するのだ」の「失われた教義」ってなんだろう?と思うんですけど、たぶんこれは原理主義への回帰を呼びかけているのではないかと思います。

この歌の「対象」は誰なのか?

ISは中国の誰に向けてこの歌を制作したのか…というのが疑問なんですけど、ウイグル人に呼びかけるのなら、中国語よりもウイグル語の方がいいと思うのですね。中国に占領されて抑圧されているウイグル人に中国語で「聖戦」への参加を呼びかけるのってどう考えても変ですから。

そもそも、中国語を母語とするイスラム教徒ってどれぐらいの数がいるんだろうか?と思うわけですが、まず整理するために中国のイスラム教を信仰する少数民族をピックアップし、使用言語人口を調べてみました。

  1. ウイグル族(ウイグル語)           987万人
  2. 回族(中国語)              981.68万人
  3. カザフ族(カザフ語)             160万人
  4. トンシャン族(トンシャン語)        51.5万人
  5. キルギス族(キルギス語)          17.5万人 
  6. サラール族(サラール語、大半は中国語OK)   9.68万人
  7. タジク族(タジク語)              5.1万人
  8. ウズベク族(ウズベク語)            1.4万人
  9. ボウナン族(ボウナン語)            2.0万人
  10. タタール族(タタール語)            0.3万人

上記のデータは百度百科を参考にしました。

このようにしてみると、今回ISが制作した中国語の歌は、回族がメインターゲット?になるのでしょうか。ウイグル人でも中国語が出来る人は多いですけど、先述のように、呼びかけるのなら母語でやるはずですからね。ここにあげた回族以外の全ての民族でも中国語が出来る人はいるんでしょうけど、「聖戦」の呼びかけで考えた場合、やっぱり何かが違う。サラール族は大半が中国語OKだそうですが、それでも10万人いないわけです。

たまに、漢民族でイスラム教に改宗した人がいるんですけど、これもそんなに多いわけではない。

私の想像になりますが、今回発表した中国語の歌は、ISが中国政府に対して、「邪魔するようだったら、中国も聖戦の対象にしますよ」という脅しをかけているのではないか…と思います。中国政府が有志連合に参加しない、協力しないようにするための警告の意味が込められているのではないでしょうか。

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  • 作者:宮田律
  • 発売日: 2014/06/08
  • メディア: 新書