部屋の片付けをしていたら、こんなものが出て来た。
満洲国の1円札である。
以前、中国東北部に旅行した際に購入。本来は満州帰りの友人の父にプレゼントのつもりで買ったものだが、帰国してからずっとその友人の父とは会う機会がなかったので、そのまま手元に残り続けて、今に至る。
今はどうか知らないが、しばらく前まで骨董屋などに行けば、こういうものが安く売っていたのだ。私は確か20人民元ぐらいで購入したと思う。
つぶさに眺めてみると、なかなか面白い。
この花の紋章は、満州国皇帝の紋章で、春蘭(シュンラン)であるらしい。
■満洲国の国章(ウィキペディア)
こちらを見て初めて知ったのだが、満州国の国章と、満州国皇帝の紋章は、似ているけれど別のものである。
国章の方はモロコシであるとのこと。
この1円札に描かれているのは、国章ではなくて、皇帝の紋章である。
「満洲中央銀行」と正面中央上部に堂々と書かれているのだが…
下を見ると、「大日本帝國内閣印刷局製造」と書いてある。このお札が登場した時、満州ではお札を刷っていなかったようだ。
「1YUAN」と書かれている。「YUAN」は「圓」の中国語発音表記と思われるが、現在の中国で使用されているピンインでも、「YUAN」と書く。そういえば満州国での中国語発音表記法は何だったのだろうか?ウェード式だろうか?
後ろは緑一色である。
この角ばった紋章が何なのかわからなかったのだが、こちらの解説によると、満州中央銀行の行章であるらしい。
モンゴル文字表記も
こちらの文字は、最初は満州文字かと思っていたのだが、ツイッターで寄せられた話によると、モンゴル文字で「1円」と書かれているとのこと。
@bci_ 一円と書いてますね、上が一の意味で、下がモンゴルの通貨名称を表しています。トゥグルクと読みます。
— Hasaa (@hasaaMGL) 2013年9月9日
@hasaaMGL @bci_ モンゴル語で「ネゲン・トゥグリク」(一圓、一元)と書いてあります。現在の人民元の一元札の裏には「ネグ・トゥグリク」と書いてあって、ちょっと違いますが、同じく「一元」の意味です。
— yoshchy * (@yoshchy_yoshchy) 2013年9月9日
満州国にはモンゴル人も多かったので、モンゴル語表記も用意されていたのであろう。
満州国紙幣に描かれている人物は誰なのか?
私の個人的な趣味で言わせていただくと、この龍の眼が可愛い。どうしてこんな風に描く必要があるのかな…と思ったりもするわけだが、この龍が眼を飛び出させて見ている人物は誰なのか?
最初は昔の清朝の皇帝じゃないかと思っていたのだが、こちらによれば、孔子であるらしい。
そもそも満州国の紙幣の図柄に愛親覚羅家につながる人物は一切採用されていない。皇帝の紋章は出てくるけれど、皇族は登場しないのであった。
孔子以外には、孟子、そして趙公明という人物が図柄に採用されている。趙公明は道教の神で財神である。大黒天が変じたという説もあるから、日本でいえば大黒さんである。孔子孟子と来て、大黒さんが出てくるのはちょっと違和感が無くもないが、たぶん図柄選びのポイントとしては、儒教による社会秩序の構築と、商売繁盛祈願が込められていたのではないだろうか。
つまり、このお札は、満州国政府が大同元年(1932年)6月11日に施行した教令第二十五号貨幣法により発行した…ということである。
満州事変は1931年9月18日に始まり、翌年2月18日に収束する。そして満州国の建国が1932年3月1日だから、それから3ヶ月10日後に貨幣法が施行されて、このお札が登場したのだが、そういうタイトスケジュールのために、印刷は日本で行った…というわけだろうか。
ただし、この乙号券1円札は1937年(昭和12)12月1日から発行されたものであるらしい。つまり盧溝橋事件や第二次上海事変などがあった年である。日本軍が南京を陥落させる12日前に新しく発行され始めたことになる。
そしてこの裏側の図案に出てくる建物はどこの何なのか…最初は瀋陽の故宮と思っていたのだが、先述のウィキペディアの記載によれば、「荘院」とある。
満州国皇宮の一部にこういう建物があったのかも知れないし、1938年から建設が始まる新宮殿(1943年に建設中断)の中にこういう建物を作るつもりだったのか…とにかく、この図案に描かれている場所を確定することは出来なかった。こちらはまた後日、調べておこうと思う。