黒色中国BLOG

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【ウイグル】何故、カシュガル・コナシェヘル県なのか?

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▲2009年6月26日に広東省のおもちゃ工場で発生した民族衝突事件の映像。

昨日ツイートした中で気になったのはこのニュースである。何が気になるのかというと、この「コナシェヘル県」という場所である。

2人が埋葬、政府は無言、警察当局は住民を脅迫(世界ウイグル会議)

RFAの取材で明になった情報によると、6月26日に広東省で起きた衝突で殺害された2人ともカシュガルのコナシェヘル県ゼミン村出身で、2人とも男性 だった。現地の政府関係者および住民らの話によると、2人の死体は村に運ばれてきて、6月29日に当局の監視の下で慌てて埋葬されてしまったという。

実は、去年の広東省のおもちゃ工場で発生した漢人によるウイグル人集団暴行事件で殺害された2人はこのコナシェヘル県の出身だったのだ。

新疆ウイグル自治区といえばかなり広い。その広い中からこのコナシェヘル県だけに特定して労働者を確保する理由というのがよくわからない。どうしてここでなければいけないのだろうか?ましてや7・5のウルムチ暴動の原因になった広東省の事件で殺された2人の出身地ともなれば、避けた方がいいんではないかと思ったりもするけれど、中国の当局はそうは考えないらしい。

そこで、ちょっと掘り下げて調べてみる事にした。昨日のツイートを再整理してみようと思う。

まず、地図を見てみる。コナシェヘル県はカシュガルの近くである。南北に川があってそれに挟まれてあり、国道314号線が通っている。当方はカシュガルに行った事はあるものの、残念ながらこのコナシェヘル県には行った事がない。だから地図でみて想像するしかないのだけれど、コナシェヘル県はたぶん、水に不自由する事のない場所で、大都市に近く、交通の便が良い…というように考えられる。なかなかいい地理条件ではないか。

では歴史はどうなのか?

疏附(百度百科)

疏附县古属疏勒国,西汉设西域都护府,唐朝置都督府,为当时著名的安西四镇之一。

 「疏附」とはコナシェヘルのこと。「疏附県は古くは疏勒国に属した」、疏勒国とはかつて存在したオアシス都市国家。西漢の時代に西域都護府がおかれ、唐代に都督府が置かれた。古くから中国の西域安全保障の重要拠点であったことがわかる。

ウィキペディアの疏勒国の習俗について記載があった。

疏勒国は他のオアシス都市国家と同様、農耕民族であり、古くはインド・ヨーロッパ語族系のコーカソイドの人々が住んでいた。農業は盛大で、花・果は繁茂している。細い氈(フェルト)や褐(けおり)を産出し、細い豌氏iもめん)や豌肴ッケを巧みに織る。他にも稻、粟、麻、麥、銅、鉄、錫、雌黄、錦、綿を産出する。気候は和やかで、風雨は順調である。

人の性質は乱暴で、俗(ならい)として詭り(いつわり)が多く、礼儀は薄く学芸は平凡である。その風俗として子を生むと頭を押さえて扁平にする。容貌は卑しく、文身(刺青)をし碧眼である。

使用する文字は印度に手本を取っており(カローシュティー文字→ブラーフミー文字)、省略・改変はあるが、よく印度の様式筆法を保存している。言語の語彙・音調は諸国とは異なっている。

疏勒国は古くから篤く仏法を信じ、福徳利益の行に精励している。伽藍は数百か所、僧徒は一万余人、小乗教の説一切有部を学習している。その理論は研究することなく、多くはその文句を暗誦するのみである。それ故、経律論の三蔵や毗婆沙(ヴィバーシャー:広解)をすっかり暗誦している者が多い。

人の手足は皆六指で、産子が六指者でなかったら育てない。

たぶん、中国の史書から持ってきた内容が多いのだろう。あくまでも中国人の視点から見てこのように見えた…ということだ。昔から豊かな土壌があって、農業が栄えていて、文字も使えば信仰も篤いわけだから、野蛮人とは思えない。「人の性質は乱暴で、俗(ならい)として詭り(いつわり)が多く」というのはあくまでも中国人に対してのことである。たぶん大昔から中国人はかの地へ行ってゴミを捨てたり痰を吐いたり乱暴狼藉を働いていたので現地人の反感を買って何かあったのではないかと想像する。

調べてみるとコナシェヘルには11世紀に麻赫穆德・喀什蝎カ里(Mehmud Qeshqiri)という言語学者がいて、彼はアラビア語による「突厥語大辞典」を編纂している。やっぱりここは新疆の片田舎というわけではなくて、昔からなかなか大したところなのだろう。

コナシェヘルの現在

▲中国の動画サイトで見つけた「西部開発の前線~コナシェヘル県」という映像だ。中国で見本市などに行くとこの手の地方都市の紹介のVCDをもらえるけれど、まさかコナシェヘルのものまであるとは思いつかなかった。こういう映像が存在するということは、それだけこの地が何かある、ということだ。

4分40秒目あたりから先ほどの言語学者の紹介が出て来る。なかなか立派な廟が立てられている。

このビデオの本題は9分30秒目あたりから始まるのだけれど、どうも西部大開発プロジェクトの云々で、この地に投資がなされており、特に天津市がこのコナシェヘルに開発区を作っているようなのである。

http://bit.ly/6wp39z(現在削除済み)
▲こちらはその開発区の竣工式を報じたページ。テレビをプレゼントしているので、どうも先ほどのビデオの中のそれらしい。「2008年7月8日」といえばウルムチ暴動の1年前に当たる。どうもこの地域の開発というのは最近のことのようだ。

投資を行ったり、開発区を作っているのならば、現地に仕事がありそうなものだが、たぶんそれでもまだ雇用が充分ではないのであろうか。もしくは沿岸地域の工場に学ばせた方がいいと考えているのかも知れない。そういう経緯があって、去年広東で殺された2人や、今回の500人の女工さんが出稼ぎに行っているのであろう。

新疆疏附县约500名农牧民外出务工(新華網)
こちらにその出稼ぎ女工さん500人の出発のニュースが掲載されている。写真が4枚ある。3枚目のキャプションを見ると、広東省の恵州で働いて1年の収入が1万6千元(21万7千円)とある。月給に換算すれば1333元(1万8千円)。これは高いのか安いのか?

■惠州一般工人招聘求职(現在削除済)
恵州の求人サイトで調べてみたら一番安くて1000元。大体1200~1500元くらいのレンジである。一般的な広東省の工場労賃ではないかと思う。

この件について調べているうちに1つ興味深いものを見つけた。

京大上海センターニュースレター 第286号

なかなか読み応えがある。コナシェヘル県のこともちゃんと出て来る。ウイグル会議のことも書いてある。

このレポートの信憑性を何処まで信じるかは読者のみなさんにお任せしたい。ただ一つ付け加えておくと筆者の大西広氏の略歴は以下のとおりである。

大西広(ウィキペディア)

大西 広(おおにし ひろし、1956年7月31日 – )は、日本の経済学者。専門はマルクス経済学、統計学。京都大学上海センター副所長、同大大学院経済学研究科教授。日中友好経済懇話会顧問。

ちなみにこんなページもある。

大西 広 京都大学経済学研究科教授(中国国際放送局)

どうやら「中国の友人」の一人のようですね(笑)