黒色中国BLOG

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【清朝最後の皇后】婉容(えんよう)の写真

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▲和服を着た婉容

YOUTUBEで清朝関連の映像を漁っておりましたら、最後の皇后・婉容の写真を集めた動画を発見いたしました。

再生は以下から。

 

The Last Empress - YouTube

ラストエンペラー・溥儀の方がずっと有名なので、どうしても婉容の方は目立たないわけですが、このようにして写真でたくさん見ますと、なかなかの美人ですね。

そんなにたくさんの人にアンケートをしてみたというわけではないのですが、何人かの中国人に婉容についてどう思うか聞いてみたところ、大体の方は「素敵な人だと思う」というような好感のある反応が返ってきました。中国人は何かと歴史上の人物を評し、政治家の功績を云々しますが、この最後の皇后様だけに関しては、好感だけで語るような感じです。

西太后などに比べると、基本的に婉容は政治にも歴史にも参加していなかったような人ですから、評価のしようがないのかな…と思うのですが、美しい姿の写真だけはいくつも残っていて、その美しさだけが評価の対象になりますから、批判のしようがないのでしょう。

映画『ラストエンペラー』の最後の方で、無残な姿に変わり果てた婉容が出てきますが、彼女は史実ではあの後どうなったのだろうか?というのがずっと疑問でした。

婉容の「生い立ち」と「その後」

婉容(ウィキペディア)

日本の敗戦後、溥儀が日本への亡命を企て逃亡した後、嵯峨浩らわずかな親族や従者と共に取り残された。中国共産党軍に逮捕され各地を転々とした後、通化では通化事件に巻き込まれる。その後、親族や従者とは引き離され、吉林省延吉の監獄内でアヘン中毒の禁断症状と栄養失調のため、孤独の内に死亡したといわれるが、詳細な死去時期や場所は今なお不明である。

 日本語版ウィキペディアではあまり詳しい情報がありませんが、百度百科(中国のウィキペディアみたいなの)には、さすがにたくさんの情報があります。

婉容(百度百科)

こちらから美味しそうなところをつまみ食いして読んでみますと、

原籍は黒龍江省訥河市龍河郷

龍河郷」は見当たらないのですが、「龍河村」「龍河鎮」は存在するので、たぶんこのあたりなのかと思います。

北満の丁度真ん中辺り。チチハルの北側ですね。

実はダウール族だった

後に満族正八旗に編入」とあります。皇后になる上でダウール族のままでは都合が悪かったのでしょうか。母は愛新覚羅家の方のようなので、半分は満州族の血を引いているため、「編入」が可能だったのでしょう。

1946年6月20日に亡くなられた

遺体は延吉市南山のどこかに葬られている。

ウィキペディア日本語版での記述では

婉容には満州国皇后時代に2人の愛人がおり、娘を出産したと言われる。溥儀の自伝にある彼女の「許し得ない行為」とは、このことと思われる。しかし、産まれた娘はすぐに彼女の前から消えた。婉容本人には「親族の手で育てられる」と伝えられたが、実際は溥儀の命を受けた従者が娘をボイラーに放り込んで殺害していた。

…とありますが、百度百科の方にはそうした記述が見当たりません。

ボイラーに放り込んで」というのは、つまり骨も残っていません、ということなのだろうと思いますけど、もしかしたらそれは全くのウソで、娘さんはどこかでまだ生きているかも知れません。